代表取締役 湯川 剛

1970年創立からの約8年間は浄水器の普及に力を注ぎ、70年後半から1990年までにかけての約12年間はまさにリズムタッチと共に社員一丸、真っ赤に燃えた時代でした。
その間に10周年・15周年と創立記念式典が開催され、そういう意味では1990年は創立20周年の区切りの年で、花の万国博覧会出展のイベントもある関係上、記念式典の開催は翌年の1月に予定していましたが、社内の状況は先の10周年・15周年の時とは違いました。

80年代後半からリズムタッチの売上が低迷していた事に加え、日本経済全体を襲ったバブル崩壊後の総量規制等による景気後退という時勢も重なり、従来のようなホテルでの式典は出来ないのではないかという意見が幹部会議でもたらされたのです。
しかし、一方で簡単に式典開催を見送る事が出来ない事情も抱えていました。
それは、15周年の時にお客様と交わした「約束」の存在です。
「20周年には第3次5カ年計画の成功を報告します」と式典上で交わした約束。その第3次5カ年計画の結果は失敗に終わっています。
「5年前に交わした約束事など誰も覚えてはいないのではないか」
「花の万国博覧会出展で創立記念の式典をした事にしよう」
様々な意見が出され議論を重ねましたが、なかなか結論には至らず、最後は「湯川社長の判断に委ねる」という事になりました。
「創立20周年は決行する。しかし過去2回のようなお客様を招待しての式典は行なわない。但し、5年前のご招待客との約束は守らなければいけないので、それに関しては検討しよう。」

創立20周年記念は行なう。お客様は招待しない。5カ年計画の結果報告の約束は守る。
私が下した答えに対して最初、幹部社員はどのような意味なのかと戸惑っているようでした。

私にとって43歳最後の日である1991年1月14日。
「創立20周年記念式典」という名目で全社員に集まって貰いました。「お客様のご招待はしない」との事でしたが、融資を決断してくれた銀行支店長と永年お世話になっているリズムタッチの製造元である日本理工:阿比留社長、そしてコンサルタント会社のS総研の担当者。それに私が初めて営業の世界に入り、不自由な足で「販売とは何か?」を教えて下さった小早川ご夫妻だけは招待しました。

「第3次5カ年計画の失敗は、まさに私の経営の失敗である。社員の皆さんの責任ではない!!」と式典の冒頭で私は挨拶し、演壇から降りて集まってくれた社員さんに向かって頭を深々と下げました。右側に、真ん中に、そして左側に座っている社員さんにと、三方へ移動し頭を下げると、社員さんの中からすすり泣きが始まりました。恐らく社員さん達は私が頭を下げている姿を見て泣いたのではないと思います。日頃から現場で一緒になって闘っているのは私ではなく、ひな壇に座っている幹部の人達です。その幹部達の涙を見て貰い泣きしてしまったのだと思います。私は決して失敗した事を悲しいなど思っていませんでしたが、気づいた時には私も涙が溢れていました。社員さんが泣く姿に私が涙し、そんな私の姿を見て、また幹部達が泣いてしまう予想外の展開に、私は正直なところ戸惑いました。

自分の経営の未熟さ故に次の一手を間違った。悔しくはあっても、悲しい思いはないのに、この涙はいったい何の涙なんだ!!

【編集後記】
今年も1年間ありがとうございました。OSGは来年(2010年)に創立40周年を迎えます。多くのお客様や協力関係企業の皆様のお陰でやって来られました事に感謝の気持ちでいっぱいです。そして社員さん及び家族の皆さんにも感謝の気持ちでいっぱいです。
今年もいろいろな事がありましたが、このタイトル通り「人生はプラス思考で歩きましょう!!」をモット−にやってきました。来年もいろいろな問題や試練があるかも知れませんが、前向きにプラス思考で進んで行きたいと思います。
皆様も、2010年をよいお年でお迎え下さい。

(次回に続く)

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