代表取締役 湯川 剛

1995年1月17日 朝5時46分。

自宅で就寝中であった私は、下から突き上げられる揺れと音に目を覚ましました。

「地震だ!」と気づくまでに数秒かかりました。

私は家族や家に大きな被害がない事を確認して、すぐ本社に向かいました。

薄暗い夜明け前の大阪市内は、車を運転していてもあんな大きな揺れがあったなどと思えない程、何事もなかったかのような静けさでした。

本社に到着すると棚から書類などが多少、床に散乱してはいましたが、私が心配していたような状況ではなかったので、一安心しました。その時、当時通訳をしてくれていた韓国の朴さんという方から電話が入りました。私は大した事はないので心配は要らないよと言ったところ、「テレビをつけて下さい。大変な事になっていますよ。」と教えられ、慌ててテレビのスイッチを入れました。そこには建物が崩壊しているだけでなく、あちこちで火の手が上がる神戸の街並み、倒壊して横たわる阪神高速道路、そして一般道も寸断されているという、大阪にいる私の想像を遥かに超える光景が次々と映し出されていました。私はその時、テレビから離れる事が出来ずに釘付けになっていました。今日がどんなに重要な日かという事さえ、すっかり忘れてしまっていたのです。

7時を過ぎると幹部社員達も出社し、地震の被害が想像以上に広がっている事に驚きながら、
「本日からのキャンペーンは開始できるのか」と聞かれてようやく、私は 「そうか、今日は我が社にとって重要なキャンペーンが開始される日だ」と、ようやく我に返った次第です。それ程までにテレビに映し出される映像は、衝撃的なものでした。

すぐさま大阪ガス様に連絡するよう指示し「本日からのキャンペーンは、神戸の一部を除き予定通りに実施する」との回答を頂いて、私を含め、そこにいた幹部社員全員が安堵しました。

ところが、それからわずか数分後の事。
「予定通りやるか、やらないかは分からない。」と、待機要請の連絡が入りました。
しかしその後何の連絡もなく、業を煮やしてこちらから連絡をすると、状況は一変。

「キャンペーンなど、どうでもいい。大変な事態になっているんだ。」
それは我が社にとって最重要と掲げた販売計画が、完全に吹っ飛んでしまった瞬間でした。

今回のキャンペーンが、我が社にとってどれ程に重要なキャンペーンであったか。

「今年は25周年の区切りの年です。ミラクル計画も2年目に入りました。昨年の8月29日の創立記念日に行なった25周年記念事業と株式公開に向けてのシミュレーションを改めて全員で確認しましょう。その為にも年初めから大阪ガス様を中心としてのC&Cキャンペーンを何としても成功させなければなりません。1月17日より大々的に開始されるので準備を怠らないようにして下さい。」

そんな新年の挨拶をしたのは、わずか2週間前の事でした。

昨年末からのC&Cキャンペーンをはじめとする好調な契約状況も、なんと初日であるこの日に全て地震と共に吹っ飛んでしまいました。「計画が大きく狂った」などという生易しいものではありません。大阪ガスショップに営業を常駐させる形で、関西地区の予定は2月末までギッシリと埋まっていましたので、その分の売上が凍結し、しかも社員さん達のパワーが生かされないという事態に陥った訳です。皮肉にも好調な契約状況が裏目に出てしまったのです。

まさに好事魔多しとは、この事かと思いました。
人生には上がり坂、下り坂、そしてまさかの3つの「さか」があると言われますが、まさか初日にこのような事が起ころうとは想定外の展開でした。

さぁ、どうするのか。

大震災という未体験な大きな障害の壁に阻まれて、リーダーである私はどうするのか。

5年後の大きな夢を前に、砕かれた計画の建て直しに、リーダーである私はどうするのか。

さぁ、どうするのか。

(次回に続く)

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