代表取締役 湯川 剛

あと4日で1996年も終わるという12月28日・29日に、私達は新社屋を建設する為に引越しをすることになりました。28日は仕事納めの土曜日。よって29日は日曜日という事です。社員さんにとって、家庭の年末年始の準備をしなければならない時に「引越しの為、出社!!」とは、本当に無茶な会社です。でも社員さんは笑顔で引越し作業をしてくれていました。それはひとつの歴史を作ろうとしているからです。

設立して3年目の話です。
既にこの「人生はプラス思考で歩きましょう!」でお話していますが、当時、雑居ビルの掃除道具などの物置5坪をオフィスにしていました。

当時からテレビでCMもしていたZ社に企画を持ち込んで、契約寸前まで進んでいましたが、「我が社ではそのような小さな会社とは取引できない。」と言われ、取引を断られた事がありました。取引を断られた悔しさよりも、小さな部屋を理由にされた事に憤りを感じたのです。
今となっては相手側の理由も分からないことでもありませんが、当時はかなり頭にきていました。断られたその帰り道、「必ず自社ビルを建てて見せる」と決意して7年後、小さな小さな本社ビルが完成。

ところが何の巡り合わせか、10年後の1983年に、そのZ社の隣の土地が売り出されている事を知り、まさに驚天動地の心境でした。苦しい資金繰りでしたが、土地を活かして急ごしらえで4階建ての仮設本部ビルの建設。ささやかな完成パーティーの挨拶で「隣のビルより必ず10センチ高く建てて見せます」。当時36歳の勢い余った発言でしたが、Z社に断られてから23年の時を経ていよいよ10センチ高い新社屋実現の時が来ました。
その第一歩が、仮設本部ビルからの引越しだったのです。

そんな慌しい12月28日に知り合いの広告代理店の支社長から、是非とも会ってもらいたい人がいるとの事でした。当時、大手アルカリイオン整水器メーカーのJ社が倒産し、その協力会社の社長さんを紹介されました。
話を聞くとその会社も連鎖倒産寸前との事です。なんとJ社の関連先では自殺者も出たとの事でした。私は父親が倒産している経験から、連れてこられた社長さんの現在の心境が手に取るように分かりました。
押し迫った年末に東京から何の事前説明もなく、ただ「会いたい」との事で、広告代理店が連れてこられたのですが、面談の目的はだいたい察しがつきました。商品を買ってくれないかという事だろうと思いました。

当時のOSGは浄水器の製造・販売はしていましたが、アルカリイオン整水器は主力商品という扱いではなく、大手O社の製品を販売していました。

ちなみに医療認可製品アルカリイオン整水器は1992年に日TV系ニュース番組で「奇跡の水」として数日間報道され、それがきっかけとなって爆発的に販売。品不足が出るくらい各メーカーはフル生産。
大手家電メーカーも参入し、スーパー・量販店で飛ぶように売れ、年間通常販売の5倍は売れたと言われています。浄水器を主力で扱っていた我々から見れば、羨ましい限りの事でした。
そのブームは93年まで続きましたが、余りの過熱振りからNHKがニュース番組で「一部、万病に効くような話で売れているが、厚生労働省の効果効能のみ効く」との報道がきっかけとなり、ブームが沈下。当然の事ながらスーパー・量販店では在庫の山となり、アルカリイオン整水器メーカーもその煽りを受けて倒産への道を辿るというよくある話です。この広告代理店が連れてきた社長さんの会社も、倒産寸前まで追い込まれているという状況のようでした。

ところが話を聞いてみると、商品を買ってくれというのではなく、会社を買ってくれという事でした。しかも数億円の部品在庫があるので、相当額で引き取って欲しいとの事でした。私は驚きました。ブームも去り、そんな製品やその会社を買ってくれという訳です。そんな事は誰が考えても、買える訳ではありません。役員は、それでなくても上場前に新社屋を建てる事に大反対の状況を無理に押し通して決断してしまった訳です。
市場もダメ、商品もダメ、イメージもダメのそんな会社を私が買うなどと言ったならば、もしかすれば役員全員の総辞職願いが出るのは決まっています。
しかし私は打ちひしがれる社長さんの顔と父親の顔が重なり、決して早まった事はしないで下さいと言い、最後に「考えてみます」と言ってしまったのです。

あと3日で1996年も終わろうとしていました。

(次回に続く)

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