代表取締役 湯川 剛

1997年(H9年)が明けて1月。親しい人が数人亡くなりました。私も50歳を迎え、社長業としてあと10年のカウントダウンが始まった訳です。やっておかなければならない事の1つに新社屋がありましたが、工事契約も締結し、いよいよ12ヵ月後の年末の完成を待つのみとなりました。

当時、NHK大河ドラマは生誕500年を飾る毛利元就が題材でした。
ご存知のように中国地方10カ国の大大名となった元就は遅咲きの人で、家督を長男の隆元に譲り、隠居したのが50歳。しかしこれは名目であって、彼は常に戦の陣頭に立ち、守護大名の大内氏を滅ぼしたのが61歳。宿敵尼子氏を倒し、中国地方10カ国を制したのは70歳の時だとの事です。人生二毛作といいますが、元就は50歳以降の第二の人生を華々しく飾ったのです。

「人生80年の時代」の現在では、50歳はまだまだ若い。何にでも新しい事に挑戦できる年である。旺盛な知的好奇心を持つ事が人生を豊かにし、好奇心を失った時が老いの始まりである。社長業もあと10年。次の後継者にバトンタッチするまで磐石な会社を作っておこう。
目の前の課題は、新社屋完成と株式上場だ。

これが50歳になった日に書いた日記です。

年が明けてからそんな超前向きな気持ちでしたから、暮れの倒産寸前の会社に対しても、
「何とか再建する事ができるのではないか。」という気持ちになっていました。
当時のOSGは製造に関してアウトソーシング戦略を取っていました。開発・設計や金型などに対し投資をする一方、工場は持たない「ノー工場」のスタイルで経営をしていたのです。
それは、自社工場を持つと決められた設備がある事で、開発が固定化してしまうのではないかという懸念が拭えず、その点「ノー工場」ならば、如何なる製品開発も自由な発想で出来ると考えていたからです。
しかしその為、ノウハウが蓄積されないというマイナスな面もありました。そのような事を常に頭の隅に置きながら経営をしていましたので、今回の話はもしかすれば私にとって大きなプラスになるのではないかと思いました。

「打って出る大胆な挑戦こそ勝因となる。臆病では何事も叶わない」
よし、今度はこちらから訪ねてみようと、その倒産寸前の会社を訪問すべく上京したのです。
新幹線の中でも「『何を考えているのですか、社長』と全役員が総辞職願いを出すような事になったらどうしよう」という心配が頭の隅を過ぎりましたが、「毛利元就50歳の闘い」からみれば小さなものだと思い直しました。
「こちらから訪問する」と電話で相手先の社長にと告げる、大変驚かれました。

この会社こそが現在、我が社の生産部門を担当しているニチデンになる訳です。
このニチデンが後々、中国進出はじめ様々な影響をOSGに与えるのですが、この時点では知る由もありませんでした。

(次回に続く)

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