代表取締役 湯川 剛

生涯忘れる事のない2001年7月30日から8月2日までの4日間は、私にとって多くの教訓と緊張を与えてくれましたが、もし問題もなく思い通りに事が運んでいれば、どうなっていたでしょう。気が緩み、もしかすれば有頂天になっていたかもしれません。
そう思えば、この4日間の出来事は私にとって貴重な経験になりました。

8月4日(土)の月例役員会で2日の出来事が上手く運んだ事を、全役員に改めて伝えました。
その時も上場の実現に1歩近づけたのに喜びよりも、責任を感じる事の重要性を話しました。

私は役員会で、大相撲の横綱 曙関が、横綱を辞める時に言った言葉を伝えました。
「横綱になるまでより、横綱になってからの方が大変だった」
混乱の4日間を終えて、ホッとする役員の気を引き締めました。
いよいよ来週 (8月6日)からが更に忙しく緊張の日が続くとも伝えました。

7日には主幹事会社で公募価格が決定され、4000万株の申し込みがあると言われました。
8日にはジャスダック上場のトップインタビューの撮影等、目まぐるしく時間が過ぎました。
その間にも嫌がらせのメール等があり、これも経験すべき試練だと、前向きに受け止めました。
そして21日より、証券会社で株申込の受付開始。2日後の23日には売買が開始され、正真正銘8月23日がジャスダック上場日となりました。あっけない上場日でした。
以前、某上場企業経営者が「上場決定の知らせを受けた時、私は庭に出て大声を上げて小躍りしました。今まで感じた事のない感動とそれまでの苦労を吹き飛ばす喜びが腹の底から湧き出てきました」と手記に書かれた一節が私の頭の中にこびりついていました。
多分、私もそのような感動と喜びを体験できるのかなと思っていましたが、むしろ真逆で緊張と責任の重さを感じこそすれ、喜びという感情には程遠いものがありました。

この日に向けて前日より上京し、主幹事会社にて初値決定を言われた後、東京取引証券所を見学。上場の登録証授与式や一般紙および専門紙の記者会見等、目まぐるしい1日でした。
翌日、お墓参りし、亡き両親に報告しました。

「株式上場するぞ」と宣言したあの1991年1月14日の創立20周年記念式典から数えて3874日に及ぶ長い長い戦いでした。
株式公開から1週間後の8月29日には、創立31周年を迎えました。
5坪の貸室からスタートした日から数えて11352日目の出来事です。

 

2001年8月31日、当時の心境が日記に残されています。
「いろいろあった。長い長い8月だった。いろいろ有り過ぎた。つらさが多くあり、嬉しさが腹の底から出てこない。」

(次回に続く)

ご意見、ご感想は下記まで
support@osg-nandemonet.co.jp