代表取締役 湯川 剛

直接OSGとの業務とは関係ないが2002年の出来事の1つとして掲載しておきたいものがあります。それはアントニオ猪木さん率いる新日本プロレス(略、新日プロ)の事です。2回に分けて掲載します。

1989年にスポーツ平和党党首としてアントニオ猪木さんが参議院に出馬、そして当選。
1995年の2期目の選挙に挑んだが落選。
議員活動の6年間に、新日プロを不在にしていた関係もあり、新日プロとの間にわずかながら意思疎通を怠り、創業者アントニオ猪木さんと会社との間に隙間風が出来ました。
そのような状況に加えて、K−1やプライド等の総合格闘技の進出が、プロレスというスポーツ娯楽としての主役の座を奪われていました。
その結果、新日プロのテレビ番組もゴールデンタイムから真夜中の放映へと移行。
そうなると成績も下降気味となり、経営的にはかなり厳しい状況になったそうです。
ある日、猪木さんから『湯川さん少し新日本プロレスの経営を見て欲しい』と依頼されました。勿論、私は「プロレス興行には全くのド素人で無理です」と断りました。

かなり経営的にも末期状態との事で、ショック療法を外部から与えたかったのでしょう。
企業を取り巻く環境の変化に対応出来ないという話は、世間的によく聞かれる事です。
特に創業者すなわち中心的人物が不在である組織は、環境の変化に対して迅速な行動が取れないという例は珍しくはないでしょう。ましてや株主の中に大手テレビ局等がいる為、なんとかなるだろうという体質が幹部から社員・レスラーまで浸透しているという状況も、「親方日の丸」的な見方をすれば想像に難くない話です。
新日プロはマット業界において他団体を大きく引き離す老舗のプロレス興行団体です。
そこにはキラ星の如くスター選手を輩出し、名実とも他団体の比ではありませんでした。
そんな環境ですので、客の入りも含め、厳しいなと思っていてもまさか末期状態である等と幹部から社員・レスラーまで考えもしないでしょう。そしてそれが倒産の共通事項です。

結果的にはお世話になっている猪木さんからの強い要望もあり、私の仕事に差し支えのないように原則土・日の休日優先、どうしても平日しか時間が取れない場合には18時以降という条件で6ヶ月間の期間限定で引き受ける事にしました。
当然、私がプロレス興行経営をする訳ではない為、私がやるべき事を決めました。
それは幹部及び全社員の皆さん・プロレスラーの皆さんに、まずは現状を知って貰う事。加えて、この難局をどのように乗り切るのか、理解して貰う事に尽力する事と決めました。

猪木さんも私が他社で社員教育を行なっている事を知っていたので、依頼したのでしょう。
まさか私の社員教育がこんなところで活用されるとはゆめゆめ思っていませんでした、

私がやると決まったならば、早速スケジュールが決まりました。
まず7月1日に私と新日プロの役員達との役員懇談会が行なわれました。平日でしたがこの日だけは特別に午後3時から行ないました。幹部の皆さんは比較的協力的な態度で接してくれました。勿論、それは私の力ではなく、会長である猪木さんの強い後ろ盾があったからでしょう。
同時に役員の人達も現状が厳しいと言う事は認識していたのでしょう。
役員達の業績低下の理由として、「総合格闘技の台頭」「テレビ番組も真夜中に移行」「スポーツの多様化」などをあげ、「新日プロは逆風の中にいる」との事でした。
結局、危機感は持っていても役員達の話しをまとめてみると、厳しい経営に陥ったのは外的要因であり、その逆風の中で経営している。だから今の状況は仕方がないという言い訳だけが目立ちました。
そこで私は「皆さん方が言われる総合格闘技の台頭やテレビ番組の深夜放送。それらは逆風かもしれません。しかしものは考えよう。逆風も感じなければただの風です。まずは我々がやるべき事をしない事の方が問題だ。」と初日の面談から厳しい態度で挑みました。

そして、この懇親会でひとつのテーマが決まりました。
それが「ダッシュ35」です。

(次回に続く)

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