代表取締役 湯川 剛

この「人生はプラス思考で歩きましょう!」には、殆どOSGの社員さんは登場しません。
勿論、社員さんの活躍抜きにして、現在のOSGは有り得ないのです。
社員さん達の総合的な活躍と比較すれば私など、微力以外のなにものでもありません。

それならば、どうして社員さんが登場しないのか。理由は簡単です。
私の知っている範囲で活躍している社員さんを紹介すれば、私の知らないところで活躍している社員さんを紹介する事ができなくなる副作用が生じます。これは不公平です。
恐らく私の知らないところで活躍しているOSGの社員さんは、何十倍もいることでしょう。
よってこの「人生はプラス思考で歩きましょう!」では、原則的には特定の社員さんが登場しないで、掲載しています。(そういう理由でOSGの社員さん、ごめんなさい)

そんな私なりのルール(?)を今回は破って、韓国人社員のPさんを紹介したいと思います。

Pさんとは1991年、OSGがサムソン系企業と商談した際、韓国で出会いました。当時、私が44歳、彼は30歳。英語・日本語が堪能な彼は、相手企業に勤める通訳担当者でした。
この時の商談は結果的に、採用には至りませんでしたが、彼は「これからの韓国市場にはOSGの提案が重要だ」と、なんとそのサムソン系企業に辞表提出し、退社。その後、彼は起業しましたが、1997年のアジア通貨危機の影響により会社を閉鎖。
そんな関係から2000年3月、彼は海外部所属としてOSGに入社しました。

第5次4カ年計画(2002年2月〜2006年1月)では、国境を越えない企業は生き残れない。また既存事業だけでは売上拡大を望む事は難しい。この4年間で海外進出を図り、また事業領域を広げるとの目標を掲げたのが、第5次4カ年計画。
OSGのグローバル化の為にもPさんのような人材が必要だと思い、採用しました。
第194回で掲載した「ウォーターサミット」企画は彼の提案でした。
2000年に第1回ウォーターサミットをラスベガスで開催。01年第2回を東京開催。
そして02年に第3回を韓国ソウルで開催。

このPさんとの出会いをきっかけにその後、OSGは再度韓国市場への進出を図りました。
そして韓国最大手の製薬会社であるN製薬と、2002年の秋から特約店契約締結の足がかりとして大きな仕事をしてくれました。(詳しくは第236回にて掲載予定)

サムソン系会社の通訳担当だったPさんとの出会いが、OSGの第5次4カ年計画の目標であるグローバル化への推進に影響を与えてくれた訳です。多分、Pさんと出会わなかったら大手製薬会社との契約もなければ、ウォーターサミットも開催していなかったと思います。
このように人生の出会いは不思議なものです。

私はPさんの出会いにも似た「運命の出会い」を数多く体験しています。
過去、混迷な状況に陥った時、そこから脱出できたのは数多くの人との出会いでした。
「えっ!」と驚く程、勝利の女神が向こう側から舞い込んでくるような不思議な経験を数多くしています。この「人生はプラス思考で歩きましょう!」にもそのような話を数々紹介してきました。自社ビル建設(第87回)の話においてもそうです。まさか隣接した土地が売りに出されている話等、偶然にしてもそれは砂丘の中で失ったボタンを拾うような確率です。
リズムタッチ誕生の話もそうです。オムコ買収の話もそうです。

私は「人生は努力半分、運半分」と思っています。
これは人生において努力を半分だけやり、後は運任せ、という事ではありません。
自分の思い通りの人生を得たいならば、自分の持っている力を惜しみなく発揮し、他人の倍以上の努力をしなくてはなりません。そうしなければ自分の得たい人生とは出会わないのです。

しかしそれで得た結果に対して、注意する事があります。
自分の人生は、自分の力だけで成し得たと思ってはいけないのです。自分の努力だけで得たと思えば、人間は傲慢になります。
自分が得た立場は、自分の努力以外のものがあるのです。それが「運」です。
この運の存在に、気がつく人とつかない人がいます。気がつくとそこには自ずと感謝の気持ちが生まれて来るのです。また感謝は人を引き寄せる磁石とも言います。
だから「人生は努力半分、運半分」で成り立っているのです。

ちなみにPさんはご家族がカナダに移住する事をきっかけに04年7月にOSGを退社しましたが、4年4ヶ月の短い期間でしたが濃厚なインパクトをOSGに与えてくれました。

(次回に続く)

ご意見、ご感想は下記まで
support@osg-nandemonet.co.jp