代表取締役 湯川 剛

2002年8月10日。ウォーターサミットinソウルが3日間に渡り開催されました。
それをきっかけに、韓国のアルカリイオン整水器販売会社等が参加。その中でOSGと取引したいという会社が数社出てきました。いずれも社員数20名前後の中小企業でした。
OSGの誕生も5名5坪からのスタートでしたので、頑張る気持ちがあれば規模の大小はあまり関係ないと思っていました。

ところが取引を希望する会社は殆ど「韓国の総代理店をさせてほしい」との事。 そうなると簡単に決める訳にはいきません。
その中に、OSGが2000年にオムコ買収する以前から韓国のオムコ代理店をしていたというオムココリア社(仮名)も名乗りを上げていました。
当然、オムココリア社は「我々がオムコ時代において韓国の総代理店をしていたのだから、是非OSGになっても我々に総代理店を任せて欲しい」との強い意向でしたが、我々とすれば、それはオムコ時代のものであってOSGにはOSGの考えがある事を示しました。
一代理店ならともかく、総代理店ともなれば韓国市場そのものを全て任すのですから、簡単に決められるものではない事も伝えました。

そんなやり取りを数回繰り返す中、オムココリア社の取引先にNメディカル社というTVCM等で知名度も高い韓国の上場会社N製薬の子会社が含まれている事が判明。
そこでNメディカル社を含め、オムココリア社とOSGとで3者会議を持つ事にしました。
会議の中で親会社のN製薬の話になり、N製薬をここまで一流企業に育てたのはR会長だと、彼らは誇りを持って話しました。話によるとR会長はオーナー家系の出身ではなく、創業者に代わって企業を成長させたいわゆる中興の祖と言われる人物でした。
私がその席上で「親会社のR会長に是非とも会わせて欲しい」と依頼しました。
いきなりの申し出にNメディカル社の社長は驚き「それは無理だ」との返事。

「社長はR会長ではない。R会長自身の意向を聞きたい。この場で電話をして欲しい。」
そんな私の強引な要求を渋々ではありましたが了解してくれ、連絡を取ってくれました。
自分でも強引な要求だと思いましたが、幸運にもなんとR会長に直接電話が通じたのです。
連絡してくれている相手側の通訳が驚きの表情と共に、私に通訳してくれました。ラッキーにも面談可能なら、再度訪韓する予定でしたが、なんと「明日、会ってもいい」との事でした。

翌日の夕方にわずかな面談時間でしたが、R会長とお会いする事になりました。話した内容は覚えていませんが、69歳のR会長は自信に溢れた笑顔で私と接してくれました。

私が帰国後数日経って、Nメディカル社から連絡が入りました。
「R会長が湯川社長に大変興味を持たれた」との事でした。
そしてNメディカル社の配下にオムココリア社が入る形で「韓国の総代理店を任せて貰えないか」との打診がありました。
私は驚き、「韓国総代理店の件は分かりました。しかし、それには条件があります。R会長と再度面談がしたい。しかも短時間でなく、じっくりと話がしたい」と回答しました。

改めて後日、Nメディカル社から新たな依頼が来ました。
「OSGと弊社との総代理店提携案件は別にして、11月にNメディカル社のトップセールスマンを訪日させたい。」との事。

11月中旬に15名のトップセールスマンが来日し、3日間の研修を実施。
研修終了後、Nメディカル社から再度連絡が入り、12月27日にR会長との面談が可能との事で、私は師走の26日にソウルに飛びました。

再会した時、R会長は流暢な日本語で私を迎えてくれました。言葉という障壁を気にする事がないと分かれば、もうこちらのものです。通訳なしに私は「如何に水ビジネスは今後、韓国で伸びるか」を延々と話しました。R会長も興味を持ってくれました。
2人はビジネスの話から経営の話。そして人生の話へと話題は広がりました。
最後に「N製薬がやる限り、失敗は出来ない。今後3ヶ月間、来春までに業務提携の方向で話がまとめられるよう、よく連絡を密に取るように現場へ指示します」との事でした。

ソウルでウォーターサミットを開催してわずか4ヶ月間の出来事でしたが、韓国市場進出の大きな足がかりができ、私は緊張した気持ちで2002年の仕事納めの12月28日に仁川空港から帰国の途につきました。

(次回に続く)

ご意見、ご感想は下記まで
support@osg-nandemonet.co.jp