代表取締役 湯川 剛

帰国の朝、「次はいつ中国に来る事が出来ますか」と金菫事長は私のスケジュールを尋ねました。私の場合、だいたい2ヶ月先は完全に埋まっています。11月までは無理であり、12月は社員さんとのホノルルマラソンがある為、年内はスケジュールがいっぱいなのでたぶん無理だと応えました。金菫事長は「上海・珠海そして昨日の北京の成果はすでに全国の代理店に広まっている。この勢いを止めたくないので何とかできないか」「次の発注もすぐに出す」と懇願されました。
北京のように2泊3日でもいい。休日を利用して何とか年内にもう1回来てほしいと言われ、 「広州のエリアは北京と同様に大きな代理店で、実は自分の妹が社長をしている。何とかならないか」「OSG製品の第1号は深圳代理店のお客様です」と言われたので、考えてみると言ったところ、「この場でスケジュールを決めて欲しい。湯川社長のスケジュールに合わせてお客様大会を開催する」と言われました。
私はスケジュール表を見て多少融通が利かせられそうな予定を幾つかキャンセルして10月25日(土)からの2泊3日をその場で決めました。金菫事長は「感謝します」と言いながら、次回の訪中にはもう1日早く来て欲しいとの事でした。
理由は「我社の社員に社員教育の時間を取って欲しい」との要望に「分かりました」と返事。

私は10月24日、関空発で広州に向かいました。到着後、ホテルのチェックインもせず、広州支店に直行。80人くらいの社員さんがすでに待機しており、熱烈な歓迎を受けました。
20歳前後の若い社員さん達の瞳は輝いていました。
かつて東京オリンピック、そして大阪万博を開催した日本の高度成長時代の60年代後半から70年にかけての私達世代の若い時の瞳です。上海・珠海・北京の時と同様に、広州でも瞳がキラキラ輝くT社代理店の若い社員さん達と出会いました。80人全員です。1人たりともうつろな瞳をした若者はいません。私は彼らを見て感動しました。下向き・後ろ向き・内向きと言われて久しい日本人の若者の瞳とは大違いです。

私は中国に来て初めて、みんなの前で自分の言葉で話せる訳です。今までの3会場での挨拶は全て準備されていたメモを読んでいました。
司会者役の幹部社員さんが「本日、わざわざ私達の為に日本から来て頂いたOSGの湯川社長です(拍手)。しかも私達の為に勉強会を開催してくれます(拍手)。中国ではこの広州が初めてです(拍手)」
司会者が何か言う度に拍手が起こる訳です。多分事前に打ち合わせをしていたのであろうとその時は思っていましたが、それは私の間違った思いである事は、後日、知らされます。

通訳の呉秘書とは事前打ち合わせ無しで同時通訳のような形で行なってくれました。
「私は日本から来たOSGの湯川です」に、拍手だけでなく歓声も起こりました。
実は広州に来る前に、はたして私の勉強の内容が通じるのか、正直不安でした。日本では社内の社員教育は勿論、他社の社員教育にも通じた話が果たして異国の中国で通じるのかという思いがありました。それぞれの国の風土や文化、それに育ってきた環境が異なる訳です。
言葉の表現も習慣も違います。中国はこの時、経済開放してまだ30年も経っていないのです。OSGの創立よりも新しいのです。広州に来る機内の中でそれだけが不安でした。
そしてその時がやってきました。

私はいきなり「私達は失敗をする為にこの世に生まれてきたのではありません。私達とは、勿論ここにいる皆さんも含みます」の言葉に一同がシーンとなりました。
しかし彼らの表情を見ていると、大きくうなづいて聞いてくれている姿に私は安堵しました。

この日の私は次のような内容をポイントにスピーチしました。
「皆さんが本当に自分の能力を理解していると思うなら、それは大間違いです」
「皆さんには、皆さん自身がまだ知らない潜在的な能力がある事を理解されるべきです」
「過去と他人は変える事が出来ないが、未来と自分自身は変える事が出来るのです」

通訳の呉さんは元松下系中国企業の社長秘書を務め、日本人以上に日本を知っていました。
事前の打ち合わせもなく、私の勉強会を3時間に渡り通訳してくれました。
勉強会は大成功でした。どの国も文化の違いや環境の違いがあったとしても、人間は同じなのだなと思いました。みんなの瞳が更に輝いていました。
勉強会が終わった時に私は「頑張ろう」と日本語で言いました。すると呉さんが「加油(チャァユウ)」と呼びかけました。全員が椅子に座って「加油」「加油」と応答しました。

この後、勉強会の会場で信じられない事が起こりました。

(次回に続く)

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