代表取締役 湯川 剛

2004年1月5日。初出式で新年の挨拶を行ない、7日には数名の幹部を伴い、T社の新年会に参加する為、関空から香港に向かいました。香港の港から船で1時間程度移動すると、T社のある珠海港に到着です。その香港の港で私はFCP社の蔡社長と合流しました。

FCP社(第249回登場)は、1989年に蔡&蘇夫婦が30歳の時に台湾で設立した会社です。
以前にも掲載しましたが、英語の出来る蔡社長が営業を担当。ご主人の蘇さんが副社長兼工場長として会社を育ててこられました。その後2001年、彼らが42歳の時に子供を台湾に残して中国本土に進出。初めは間借り工場からスタートしたとの事ですが、03年3月に約4万㎡の広大な土地を取得し、工場一棟を完成。
03年9月に蘇州を訪問した際に「もし湯川社長が中国で何かやるならば、手伝わせて下さい。工場は様子を見ながら、あと数棟建設する予定です。その1棟を使って頂いてもいい」と言われた事を思い出し、T社との合弁会社で生産をする時はFCP社で行なうと決めていたのです。
珠海までの船中で行なった蔡社長との打ち合わせで、月明け2月11日に金菫事長と生産工場見学を行なう事になりました。

T社到着後、早速、会議が開かれました。指し当たってまずは資本金・出資比率・役員数等を決定。それを以って翌8日の午前中、OSG・T社合同幹部会議が開催されました。引き続いて午後からは新年大会に参加し、その式典の規模の大きさに驚きました。
全国のT社代理店約300社の社長やT社社員、そして行政関係者等1000人を越える規模の新年会です。日本サイズと比較すると何もかもがケタ違い。司会もプロ顔負けのT社社員が行ない、踊りや歌が披露されます。そんな中で両社合併会社設立の調印式が行なわれました。
私が上海で金菫事長と出会って、わずか100日足らずという短期間での合弁会社設立調印式。
それ程、中国と言う国はスピード感を持ってビジネスをしている事を実感しました。

そして翌9日の午前中は、2日続けての合同幹部会議。議題は社員教育についてでした。
こうしてOSGとT社は、資金の提携や技術の交流だけでなく、幹部同士の社員教育等、文化交流も行なう事になりました。OSGでは入社時の新入社員教育で理念の暗誦を行ないます。これを知った金菫事長は早速T社でも採用する事を決め、まず理念を作成。この数ヶ月間で見事にT社社員さんに理念を暗誦させました。

私は3泊4日の中国出張を終えて帰国した翌11日の日曜日、合弁会社設立の手続資料の他、1月決算の資料に目を通しながら、連日の過密スケジュールからくる疲れからか、気づけばそのまま机に伏して寝てしまっていました。

 

追記

親しい知人から頼まれて2年間限定を条件に、プロ野球のOB達で構成するマスターズリーグの地元球団、大阪ロマンズの冠スポンサーになりました。吉田義男 元 阪神タイガース監督が監督を務め、選手の殆どは当時の阪神・阪急・近鉄のOB選手で構成されるチームです。

2004年1月25日に最終戦があり、多くのお取引先を招待。ビジネス上では役に立ちましたが、お遊び半分のマスターズリーグは正直なところ、心底好きにはなれませんでした。

プロ野球そのものは好きですが、特に贔屓にする球団もなかった事も1つの要因だったかもしれませんが、その分、クールな気持ちで見ていられたとも思います。

これも折角の機会ですし、冠スポンサーをお引き受けする限り、任期の2年間は価値あるものにしようと思いました。そこで地元大阪の経営者が集まる会合で「シニアの力を見直そう」と呼びかけたところ、予想以上に関心を持って頂けて、かなりな人気がありました。約束の2年が過ぎたので冠スポンサーは下りましたが、それから数年後にマスターズリーグが消滅したと聞き、やはりスポーツは真剣勝負でないとダメだと感じた次第です。

(次回に続く)

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