代表取締役 湯川 剛

不具合発生について、私はワーカーの人達と通訳を交えて話をしました。
「皆さんも立場が変われば消費者です。主婦なら分かるでしょ。期待して買ったのに不具合で使いものにならない商品だったらどんな思いか」
みな黙って首を縦に振り、うなづくように聞いてくれました。その顔は全員真剣でした。
私は心の中でホッとしました。誰も好んで不具合を発生させたのではありません。しかし結果には必ず原因がある訳です。大事なのはその後の対応です。原因を追求し、どこに落ち度があったのか。徹底して調べなければなりません。その為にはみんなの心、気持ちが重要なのです。

私は1本のビデオテープをワーカーの人達に示しました。
「これからみんなで一緒にビデオを見ましょう。これは中国の皆さんがよく知っているハイアール社のビデオです」そう言って、私達は一緒にビデオを視聴しました。
現在、ハイアール社は世界最大の白物家電メーカーです。1984年、山東省青島(チンタオ)で青島電氷箱という冷蔵庫のメーカーとして設立。当時は倒産の危機に瀕する弱小メーカーでした。

中国人スタッフの話によると、80年代前半の中国ではほぼ全ての民生用工業製品に対し、完全合格品を「一等品」、品質に問題ある製品の内、その問題の程度によって「二等品」「三等品」と類別し、異なる価格つけて販売。そして更に程度が悪く市場販売が許されない製品を「等外品」として格安で社内販売する、もしくは役所や関連企業などに売却。
つまり当時の品質意識に基づいて分類すれば「非完全合格品」か「程度の悪い商品」と呼ぶべきで、中国人的捉え方をすれば「不具合品はない」という事になります。
さらに中国人スタッフによると、一等品は海外輸出向けとして出荷され、二等品は共産党幹部向けに販売し、そして三等品は一般庶民向けに店頭に並べられたのだそうです。一般庶民は不具合を承知の上で買っていたという事でしょう。恐らく物資が少なかった時代に不具合品を処理する事が当時の中国には出来なかったとも思えます。

そんな時代背景と重なるハイアール創業期「ハンマー伝説」と呼ばれる話です。
この話は大変有名で、中国人の成人なら殆どの人が知っている内容です。知ってはいますが、改めてビデオで見る事はワーカーの人達も初めてでした。
そのビデオは日本ハイアールから私が入手したもので日本語の字幕もありました。

1985年12月、販売店から冷蔵庫に対するクレームが届いた。当時の工場長 張瑞敏が倉庫に入り、約400台の在庫を調べ、品質に問題のある冷蔵庫を76台見つけた。そこで張瑞敏は社員を集め、問題製品をハンマーで叩き潰すように命じた。
「不良品を自らの手で叩き潰す」
当時、1台が800元もする冷蔵庫は、労働者の月給がわずか50元程度の当時においては、とんでもない高級品。叩き潰された76台の冷蔵庫の出荷価格は、全社員の給与の約2ヶ月分に相当する大金で、それをゴミ同然に処分させる事はあまりにも社員にとって重過ぎる命令。泣きながらワーカーの人達はハンマーを振り下ろし、また他の社員達も泣きながらその光景を見守る。

その場面で日本人の私ですら目頭が熱くなり思わずハンカチで涙を拭きましたが、ワーカーの人達は全員、涙を流して見ていました。

天然三愛の不具合発覚をきっかけに「ハイアールのハンマー伝説」をワーカーの人達と共に同じビデオを見ながら、言葉の壁を超え同じように涙を流した時、更にワーカーの人達と気持ちがひとつになった気がしました。

(次回に続く)

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