代表取締役 湯川 剛

思い起こせば03年、香港の上場会社で中国市場を販路とし、約300代理店を網羅していた寝具販売会社天然社を作り上げた当時の金鋭菫事長がOSG本社を来訪。寝具販売は冬の季節商品として何とか夏の季節商品を開発しなければならないと、天然社はアルカリイオン整水器の販売に参入。当初、販売していた中国産製品で不具合が発生し、アルカリイオン整水器発祥の国である日本を訪問。その中でOSGへの訪問があった訳です。
その後、私との出会いの中でお互い「兄弟」と呼び合って、中国市場にアルカリイオン整水器の販売を手がけ、04年春にはOSGと天然社との合弁会社の生産拠点を設立。
全てが順調に運び、わずか2年目にして、投資した資金の一部をロイヤリティとして日本本社に送金した矢先に衛生部ショック。00年に第1次衛生部ショックが起こり、放置した結果として05年秋に衛生部ショック再発。しかしこの問題を大きなチャンスとしてOSGは中国政府や業界団体などに呼びかけ、日本では医療認可商品アルカリイオン整水器に関し、実態調査団を企画した訳です。それ以降、中国は凄まじい勢いで製品基準制定に動きました。当時、小泉政権下の反日運動が各地で起こる中、日中関係は最悪でしたが、厚生労働省の職員が北京で開催されたシンポジウムにも参加し、中国のアルカリイオン整水器の業界全体を健全な状態にすべく動き出しました。
それらの中国側の中心にいたのが天然社の金鋭菫事長でした。私と金鋭兄弟とは文字通り二人三脚で中国市場においてアルカリイオン整水器の基準制定に動いた訳です。

ただその事とアルカリイオン整水器の市場育成は必ずしも比例的に動くものではなく、その結果、第2次衛生部ショックは天然本社にとって、実績の低下という厳しい現実を突きつけました。OSGとの合弁会社は解消され、OSGは独資として中国市場で生きて行くことが決定されました。OSGにとってはその事自体は余り大きな問題ではなかったのですが、第2次衛生部ショックの激震は「金鋭菫事長の辞任」へと導きました。まさに青天の霹靂でした。
中国市場の冷え込みは当然の事ながら、中国OSGにも大きな影響を与えました。

アルカリイオン整水器市場の冷え込みが回復するまでの起爆剤になるのではないかと、大きな期待をもたらしたのが世界最大の白物家電のH社との電解槽の取引でした。洗剤の要らない洗濯機は、公害問題を取上げている中国にとって「夢の製品」として国の後押しをさせる程のものでした。
この洗濯機の心臓部分にあたる電解槽を従来の電解槽メーカーからOSGに移行したいとの話は、まさに救世主が現れたかと思わせる出来事でした。H社からの白羽の矢に対し、何としても応えたいと、本社のある青島(チンタオ)に、私だけでも10回の訪問。技術者・担当者の訪問はそれ以上の回数でした。
結果的には、07年12月には一部の納品だけに終わり、それ以降、連絡をしても訪問しても居留守を使われ、懸念した通り「技術の流出」に見舞われました。正確には「一部の技術の流出」であり、我々の技術を最終的にまで受入れなかったH社は「洗剤の要らない洗濯機」は失敗に終わりました。しかしここで学んだ事は、改めて海外との取引に対し言葉の弊害があり、仕事の進め方の違いをまざまざと体験したという事です。

中国OSGは金鋭菫事長という強力な後ろ盾を失い、天然社もまた300社代理店の強力な指導者を失い、更に実績の低下となって行く訳です。それはそのまま中国OSGに影響を与え、欧愛水基公司は冬の時代へと突入していきました。

【追記】
次回336回からは、06年から07年における水宅配ビジネスについて掲載したいと思います。第321回からの続きです。

(次回に続く)

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