代表取締役 湯川 剛

いろいろな出来事があった06年は、当然の事ながら多方面に影響を与えました。
その1つが06年11月と12月の役員会議での出来事です。
実績の低下や株価の低下は当然の事ながら、役員会議では大きな影を落とす事になります。

06年11月3日の定例役員会議の席上での事です。
当時の売上低下に対して社内監査役が営業担当役員に質問した時の事です。
38歳の生え抜き営業部長の発言がこの時の役員会議で一瞬険悪な雰囲気を作りました。
「どうしてここまで実績が低下するのか」という社内監査役からの質問に対し、営業部長は「原因は、製品の対応にある。その事が販売店様の意欲の低下につながっている」と回答し、更には列席している外部から招いた営業本部長のマネージメントにも話が及びました。
営業部長の発言を聞いて私は、彼に対し「上司批判」について注意をしました。しかし彼は「私はそんな事を言っているのではありません。問題は問題として事実を伝えているのです。にもかかわらず湯川社長がそのような事をおっしゃられると、現場で仕事をしている若いカンパニー長達が発言出来なくなります」と反論しました。
私は「役員会議で発言する内容ではない。営業会議でやるべき案件だ」というと、彼は怯む事無く尚も食い下がりました。
「どうしてですか。営業本部の体たらくを何故、この役員会議で発言してはならないのですか。むしろこの役員会議で明確にするべきです」
創立以来、役員会議でこのようなやり取りに至った事は正直、経験した事がありません。
私と異なる別の意見を述べる役員は数多くいます。しかしこの11月の役員会議は従来とは異質でした。業績の悪化がそうさせていたのでしょう。

議長である私は彼に対し厳しい顔をしながらも内心、飛び上がる位に喜びました。「真剣だ」
彼がこのOSGを思うが為に体を張って言っているのです。正直、今までは真剣に会社の事を思う熱量は私がトップだと自負していましたが、私以外にもいたのです。いやOSG社内には会社を思う多くの若い獅子達がいるのです。その獅子達がもしかすればその38歳の部長に、会社を憂う気持ちを現場でぶつけたのでしょう。私はこの真剣な意見に感動しました。
「業績が悪い」という事がこういう獅子達を奮起させる材料になったのなら、それは1つの明るい兆しであり、危機は好機につながる、ピンチはまさにチャンスの芽です。

同時に、私の心に飛来したものがありました。年明けの07年1月で私は60歳を迎えます。
私は49歳の時「私は60歳で社長を辞める」と社内でいうところの「ハワイ宣言」(第162回 ハワイ宣言)を行ないました。この時、夜のパーティの後、全社員さんに向かって言いました。
「あと10年で私は社長を辞めます。社員の皆さん、これがハワイ宣言です。これからの10.年は新しい本社ビルを建設し、そして株式公開などやらなきゃならないテーマが山積です。私には時間があるようでありません。この課題に時間を切って挑みます」と宣言しました。
その約束の60歳が、あと3ヶ月足らずでやってくるのです。
しかしこの厳しい状況下でバトンタッチするような無責任な事はできないと、この一部始終をこの日の日記に書いてあります。

そしてもう1つの役員会議。それは1ヵ月後の12月定例役員会議の事でした。
既に1月決算まで2ヶ月を切っていました。
おおよそ今期が厳しい状況である事は役員会議の出席者全員が分かっていることでした。
その席上で管理本部長が「辞任したい」との申し出がありました。役員会議は一瞬、何を言っているのか、きょとんとなりました。この管理本部長は弊社の取引銀行出身ですが、取引銀行から派遣された訳ではありません。別の経路から紹介され、入社しました。分析力に優れ、我社にはない人材でした。しかし立場が立場です。厳しい状況下の中での管理本部長の辞任は、あらゆる憶測を呼びます。突然の辞任の申し出に、私は努めて冷静に質問しました。
「何故、辞めるのですか」に「もうそろそろ現役を退きたい、ゆっくりしたいし、ゴルフもしたい」との事でした。私は心の中で「ゴルフ?別の表現があるでしょう」と思いました。
辞任の申し出に対し、彼の立場から考えれば責任感に対しての批判もなくはなかったですが、彼の性格から理解出来る事もあり「分かりました」と伝えました。この間、数分間のやり取りで終わりました。彼は03年1月に入社し、06年12月28日に退社しました。丸4年間の付き合いでしたが彼に感謝する気持ちはあっても、批判する気持ちはありませんでした。むしろどこかでこの痛みを次の闘志に向けて点火しようという気持ちが、私の中にありました。

激動の06年も終わろうとしています。

【追記】
今年も1年間「人生はプラス思考で歩きましょう!」を読んで頂き、ありがとうございました。私は相変わらず2017年も東奔西走の365日でした。

「人生はプラス思考で歩きましょう!」は06年の出来事を中心に書いています。
11年前の事といえ、日記等を読み返していると昨日のように鮮明に覚えている場面も多々あります。
「もうあかん」的な状況ではありませんが、人間まだまだ修行が足りないなと、その場面場面で感じています。年齢からみれば、もうそろそろ「達観したらどうや」と思うのですが、人間未経験との遭遇は不安を必要以上に駆り立てる傾向があります。
幸い、私には「人生はプラス思考や!」と呪文のように習慣化されていますので、ちょっとやそっとではノックダウンされないところがあります。しぶといです。可愛くないジジィです。

さて今から11年前の06年の出来事と言えば、
トリノオリンピックの金メダリスト荒川静香選手のイナバウアー、夏の甲子園を沸かせた早稲田実業の斎藤佑樹のハンカチ王子、歌手の田中義剛が経営する花畑牧場生キャラメルがヒット商品となり、そして第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が開幕し、ライブドアの堀江貴文社長が証券取引法違反容疑で逮捕された事などが記憶に残っていますが正直、11年も過ぎたとは思えません。さて2006年、皆さんは何歳の時でどんな出来事がありましたか。

最後になりましたが、OSGは今年「プレミアム50」企画を行なっています。
2020年のオリンピックイヤーで創立50周年を迎えます。

今後共、OSGグループをよろしくお願い致します。


(次回に続く)

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