代表取締役 湯川 剛

今回は、1981年から1990年(34歳から43歳)までの10年間を振り返ります。

この10年は草創期を抜け出し、会社の基礎を形成する時期だったと思います。
浄水器の販売だけでは生きていけなくなり、浄水器部門はメンテナンスを中心に行ないながら健康治療器業界に参入。何とか食べていかなくてはいけない為の決断でした。
また同時にOSGの社員教育が他社に採用され、私にとって忘れられない「教育のOSG」を確立した10年間です。
当時、小さな会社ながら社員教育が徹底されているとの話題がいろいろな会社へと広がり、その結果、新聞やテレビ・ラジオ等のマスコミにも取り上げられました。
「コンサルタント業を生業としている訳ではないので、OSG製品を販売して頂けるのであればお引き受けしてもいい」「社員教育後、受講企業様の本業実績として成果が出なければ教育費用は一切受け取らない」といった他社より社員教育の依頼があった際の考え方が功を奏したのか、「会社設立以来の大幅な売上」「油外収益前年対比300%」と、特に採用実績件数の多かったガソリンスタンド業界紙には派手に記事が掲載され、拍車をかけて教育の依頼が殺到。
当時はオイルショック以降の石油元売会社の統廃合が起こり、元売からの教育依頼もありました。中古車センター・薬局チェーン・LPガス業界など他業界にも広がり、「教育のOSG」を通じて異業種交流販売が確立された10年でもありました。

教育名は「G・A・T訓練」で通称「ガッツ訓練」と呼ばれ、教育というよりかなりハードな実践訓練です。実施するにあたり100畳前後の広さが必要となる為、訓練施設は主に真言宗系の寺院にご協力頂き、北は札幌から南は鹿児島まで実施エリアは全国に及びました。
当時の私の年齢が30代後半でしたが、年齢不詳で通していましたので訓練生の殆どは私の事を50代くらいと思っていたようです。内容は1単位25~30人程度の訓練生を相手に、2泊3日の日程で行なうのですが、1社で訓練生が100人を超えると、教育訓練が月の内の半分を占める事になる訳です。

当時の私の生活は、恐らく365日中360日は仕事をしていたでしょう。休暇の記憶は殆どありません。月の半分は他社の社員教育をし、残り半分で会社の経営をしていました。
人生の中で気力体力共充実した年代でしたが、知人友人がゴルフだ、麻雀だ、そして家庭サービスだという事に対し、私自身は仕事しか出来なくバランスの取れていない欠陥人間であるような気分になった時期もありました。
既に死語になっているのでしょうか、2007年当時よく耳にしたマイホームパパという言葉は私には縁遠く、そういう意味ではワーカホリックパパだったかもしれません。「24時間、戦えますか♪」というキャッチコピーで大変流行した栄養ドリンク剤のテレビCMがありましたが、私はその歌をBGMにして働いていた位の男でした。まさにそんな時代だったのです。
振り返ってみれば失った事や得られなかった事もたくさんあったかもしれませんが、人生の重要な時期に思い切り働いていた事は間違いではなかったと、今でも思っています。

低周波治療器の後発メーカーでありながら「業界ナンバーワン」を目標として掲げ、これを5ヶ年計画でやり遂げた事で「中長期計画」の面白さを実感した時期でもありました。しかし「好事魔多し」とはよく言ったもので低周波治療器の収益で企業資産を構築し、ある程度の力をつけた矢先の事。大手電気メーカーが低周波治療器の低価格販売に乗り出し、その影響を受けてやむを得ず低周波治療器業界から撤退。新たなピンチに立たされたのもこの時期でした。

新卒社員の採用や「はい、よろこんで実践教室」、LMPノート、明るさの磁場経営等の教材の充実、更に40歳で初ホノルルフルマラソン参加など現在のOSG企業文化の基礎は、この10年間に構築されました。

この10年もピンチは次々とたゆまなくやって来るのですが、それを乗り越える事が出来たのもプラス思考の考えがあったからだと思います。


(次回に続く)

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