代表取締役 湯川 剛

08年9月16日。私は羽田から上海に飛びました。今回は7泊8日の中国出張です。
上海から鄭州に移動し、鄭州から洛陽、邯鄲、安陽、焦作、青島、広州と北から南への大移動でした。勿論、お客様訪問で餃子作りの指導を受け、その餃子を食べるというコースです。
7ヶ所500個位は食べたと思います。しかも毎日です。当然、毎日が体重増加の日々です。

そんな「営業活動」をしている最中に1本の電話が入りました。
「10月10日に中国国家体育局を訪問する事が決まりました」
私は「やった!」という気持ちより、「えッ?」と瞬間には何の話かと思いました。
「中国国家体育局?」

その時、私の頭はお客様訪問の事でいっぱいでした。如何にお客様にアルカリイオン整水器を使って喜んで頂くか、その為にはあらゆる事を受け入れる気持ちでお客様訪問をしていました。
いわば、私の思考回路は「お客様訪問」「餃子作りでお客様と大笑い」「その地域の代理店社長が喜ぶ」「衛生部ショックを忘れさせる」こんなテーマが頭の中を占領していました。
その中で「中国国家体育局訪問が決まりました」は、瞬間的ですが受け入れるのに多少の時間がかかりました。お客様宅での連絡なので「やった!」とは出来ませんでした。たぶん、心のどこかで「国家体育局」という大きな相手に出会う緊張感が先にあったのでしょう。

10月10日、私は北京にいました。前日の9日に鄭州から北京に入りました。中国国家体育局訪問を実現に仲介の労をとって貰った中国保健協会 徐秘書長を表敬訪問しました。
「ありがとうございます」と握手を求めました。徐秘書長は「私ひとりの力ではありません。天然社の多くの幹部や天然社を辞めた金鋭前菫事長などが必死に根回しをしてくれたのです。何よりも湯川さんが真剣だったからです。それに全員が動かされたのです。勿論、湯川さんがいうオリンピック出場の選手の感動の涙と汗は、全てOSGの水で出来ているは、実現できる保証はありません。それは湯川さんの力で頑張って下さい。とにかく私達は湯川さんと中国国家体育局を繋いだだけです」と私の手を握っていつもの優しい口調で言ってくれました。勿論、私は中国語が分かりませんので、優しい口調かどうかは分かりません。でもその時はそのような感じで受け取りました。私は何度もうなづきながら「分かっています。まずは紹介して頂いた事が重要なんです。後は私の誠意と熱意をもって本日、説明に行ってきます」

徐秘書長と別れた後、いよいよ中国国家体育局への訪問になりました。
2008年10月9日、15時の訪問です。私にとっては記念すべき日時です。

私と同じ世代にとっては「10月10日は体育の日」で、それは1964年10月10日の東京オリンピックの開幕の日でもあります。44年前の10月9日は、私は高校生で翌日の東京オリンピック開幕の時に何をしていたのか覚えていませんが、まさか44年後に中国のオリンピック総本山である中国国家体育局の門の前に立っているとは誰にも分からなかった事です。

門の横には大きな看板に「中国国家体育局訓練局」と書かれてありました。あこがれの中国国家体育局訓練局です。私以外に天然社の社員さんや欧愛水基の社員さんも同席しています。門の横にある守衛室に訪問の主旨を説明したところ、数分後に職員が駆けつけてきました。連絡は行っているようです。職員の顔を見れば分かります。「聞いてますよ」というような顔をしていました。敷地の中には大型バスが数台駐車してありました。選手の送迎用バスです。その職員の案内で応接室に通されました。私達は緊張して座っていました。そこに訓練局の副局長や幹部職員が入室しました。簡単な挨拶の後、副局長が自ら体育局施設を案内してくれました。そこにはオリンピック直後でしたが、有名な選手達がいて、同行している中国人社員さんは興奮していましたが、日本人の私にはあまりピンッときませんでした。おそらく日本の感覚でいえば、当時の北島康介選手や吉田沙保里選手を見るようなものでしょう。
訓練所や食堂等の施設を廻った後、応接間に通されました。副局長や数名の幹部と対面しました。その場で私は「如何にアルカリイオン整水器の水がアスリートにいいのか」を力説。
そして11月に開催する日本機能水学会に参加するように要請しました。

この11月の日本機能水学会に参加表明して貰えれば、目的は1歩前進した訳です。
果たして国家体育局は参加してくれるのでしょうか。それとも体育局から見れば、飲料水問題等はトレーニングにおいて重要な課題ではないと丁重に断られるのか。

私の来日要請に対し、副局長はじめ数名の幹部にわずかの沈黙が流れました。


(次回に続く)

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