代表取締役 湯川 剛

1978年、時の指導者 鄧小平副首相の指導の下、中国は改革開放として市場経済の道に進む訳です。その大きなうねりの下、多くの中国人が企業を起こし、その中には上場まで成し得た企業家も多数存在します。特に2000年に入り若い経営者の場合にはIT関連等、デジタル時代の生き方をします。世界的に有名な阿里巴巴集団(アリババグループ)のような企業も生まれますが、金鋭氏らの時代はその一昔前の世代です。
経済開放と共に中国の生活向上に大きなビジネスチャンスが生まれます。今までは質素な寝床がふわふわな布団やベッドの寝具を取り扱った事はタイムリーだったと思います。

カリスマ的経営者であった金鋭氏は時代の波に乗り、寝具改善を旗印に香港市場で株式上場を果たすところまで会社を育成しました。会社の実態は香港ではなく中国全土にあり、わずか10年足らずで300社に及ぶ代理店ネットワークを全土に構築したのは、まさしく彼の手腕です。採用した部下の中から、これと思う人材を次々に各地の代理店設立に登用し全土に派遣。資金がなければ会社が貸付をし「天然」という屋号を付けさせ、販売網の確立を果たしました。その経営者に金鋭氏は「次は天然ではなく、私の製品を販売して欲しい」と迫る訳です。恩義を感じている経営者は「分かりました」と屋号はそのままで金鋭氏の製品を販売します。天然社は反発しますが、金鋭氏不在の天然社は既に統制が取れない状況にありました。金鋭董事長時代と比較して、本部と代理店の関係が弱体化していたのです。弱体化した要因の一つに、新董事長がファンド関係者であった為、現場の事を全く理解していない事が大きく影響していました。本部の弱体化で代理店も不安を感じる訳ですが、今まで「天然ブランド」を最高の信用としてきた経緯がある為、金鋭氏の売り込みにも躊躇する訳です。

そんな迷っている代理店に対し、金鋭氏が放つ言葉があります。
「それならばもういい。販売しなくてもいい。その代わり、この近くに新しく代理店を採用するのでそれは理解するように・・・」と迫る訳です。

こんな金鋭氏の言葉に屈し、渋々ながら受け入れる代理店もある一方、反発する代理店もある訳です。「がっかりした。あの頂点に君臨していた金鋭董事長の言葉とは思えない」
反発する彼らの声です。ここに金鋭支持派と反金鋭派が誕生する訳です。

私と金鋭氏は互いを「兄弟」と呼び合う仲です。しかし言葉が通じない為に、二人が直接話し合う事はありません。必ずそこには通訳という第三者が介入します。よっては「本音」で話せない事が多くあります。もし直接二人っきりで話せるならば、間違いなく金鋭氏のやり方を指摘したと思いますが、通訳を介入すると彼も本音が出ず、真意が伝わらなく誤解を招く時があります。

こうした金鋭氏の言動は代理店側の動向に大きな影響をもたらしましたが、それ以上に大きく変化させた要因は天然本社の弱体化です。もはやかつてのように本部と代理店が一体となった大きな塊は弱体化し、「天然」という屋号だけが生き残っている状態です。
その結果、各地域の代理店は「天然」という屋号を生かしながら堂々と別会社の商品を販売するようになります。こういえば金鋭氏が天然社の市場を侵食したかのように見えますが、実のところ金鋭氏の会社も組織化されず、天然社と単なる価格競争に陥っていく訳です。

天然社は私と金鋭氏の個人的関係が「兄弟」と呼び合う仲であると認識していましたので欧愛水基に対して疑心暗鬼になります。
そして天然社は考えられないような仕打ちを欧愛水基にしてきました。

(次回に続く)

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