代表取締役 湯川 剛

年が明けて1974年3月、あのW社が倒産しました。
私に初めて「浄水器」という商品と巡り合わせてくれた会社です。もしW社と巡り合わなければ、今日の私はなかったかも知れません。化粧品販売で窮地に陥った私に、1つのチャンスを与えてくれたのも、W社のK社長であり、商品を止められ、更なる窮地に突き落としたのも、K社長でした。
人間は不思議なもので、「コンチクショー」と思う反面、その人に認められたいという気持ちもあり、私にとってK社長の存在はまさに、その両面をもっていました。それだけにW社の倒産は私の仕事に対する情熱に、水を浴びせかけられた気持ちでした。

そのK社長から突然電話がかかってきて、会って欲しいとの事でした。
あれだけ私を苦しめていたK社長でしたが、「倒産」の二文字が私の憎しみを消し去り、むしろ助けたいという気持ちで快く会う事にしました。紹介されたのはW社の倒産で介入された、いわゆる整理屋と呼ばれる人々で裏社会の人でした。話の内容は、W社の在庫品を売りたいがなかなか処分出来ず、その時K社長が「湯川という男なら」という事で、是非、私に買ってくれとの事でした。
何とか協力して上げたかったのですが、相手が相手だけに安易に返事が出来ずに、考えておくと返事をして帰りました。

数ヵ月後、その整理屋と称する人から電話があり、「K社長は大金を持って姿を消したが知らないか」と言われ驚きました。当然、知る由もなく、ただ驚くばかりでした。聞くところによると奥さんと小さなお嬢さんを残して、突然姿を消したとの事でした。

それから数年の年月が経ち、消息不明のK社長が台湾にいるとの噂を聞き、私は台湾中を捜し、見つけ出しました。自分に出来るありったけの金銭も融通し、K社長は「湯川君には済まない事をした」と頭を下げられました。不思議なもので、そんな一言が今までの心のわだかまりの全てを解決しました。でもよくよく考えてみると、消息不明のK社長を異国の中で捜しているその時から、その気持ちはなかったのでしょう。むしろ「私が助けなければ」という気持ちが何故起きたのか、今もって分かりません。

それから1ヵ月後、K社長の承諾を得て、奥さんとお嬢さんを台湾へ連れて行きました。当時の台北・松山空港で、抱き合う家族の涙の再会を見るにつけ、人生は本当に分からないと思いました。これから25年後。OSGの中国進出のきっかけとなった出来事が、実はこのK氏の台湾生活と関係していると、この時いったい誰が想像出来たでしょうか。

(次回に続く)

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