代表取締役 湯川 剛

山西省から23歳の青年がプロレスラーになる夢を抱き、わずか1000元のお金を手に訪ねて来た・・・というところで前回は終わりました。何か気になる展開ですが、それは後々登場するとして、話を中国の欧愛水基の上海移転に戻します。

8月6日、私は羽田から上海に飛び、呉江に移動しました。欧愛水基の工場オーナー夫婦と面談する為です。半年間にわたる交渉に対して、そろそろ結論を出さなくてはなりません。
FCP社としてはやはり敷地内に「基地旅行」のお客様を入れる事に難色を示していました。そこで上海に移転する意向を伝え、FCP社から何らかの考慮があれば検討する予定でしたが、変化はありません。中国進出以来10年以上お世話になった工場に対して愛着もあります。FCP社から見れば欧愛水基とは得意先の関係です。何とか考慮したいという気持ちがオーナー夫婦にはあったものと認識していますが「管理面」を考慮すれば当然の結論です。しかし中国の販売環境の変化に我々も対応しなくてはなりません。

とはいえ、事が簡単に進む訳ではありません。移転において大きな問題が別にあります。
現在の工場で働いている社員さんをはじめ、パートの方々との問題でした。彼女らも創業以来協力してくれた重要なメンバーです。その彼らと呉江から3時間離れた上海移転には問題があります。

さて4月1日掲載の追記で書きましたが、この時期の私はかなり体の不自由を抱えて仕事をしていました。首筋から右肩が重たく、更に指先が強張り自由にモノを掴む事が出来ません。文字を書くとか、捺印する等の動作も出来ませんでしたが、「指や腕は不自由でも現在、足腰は動かせる」状態でした。医者によれば、いずれこの病気は足腰も自由に動かせなくなるとの事ですが、動けるところまでは動こうと思いました。そんな事もあって10年目の決断として、上海移転は何としても自分の手で成し遂げようと思いました。

『10月4日、12時に東京にて長喜の孫董事長と会議』
『10月21日、10時30分。上海駅前にある長喜本社で会議』
私の15年当時の日記にそのように記されています。
そこで話された内容は、おおむね上海移転の方向で計画する話でした。
「話は前進したい。具体的には年内で方向を決めておきたい」という自分自身の中で決めていましたのでそれに時間を取っていました。

具体的な話が比較的スムーズに行われたのは欧愛水基の社員さんやパートさんの対応が見えてきたからです。長年一緒に働いて頂いた社員さんやパートさんが会社の都合で移転する事は致し方ないとしても、割り切れないものが私にはありました。彼女らとは直接会話が通じないもどかしさはお互いにあったと思います。日本語が通じない。中国語が通じない。しかし何となく気持ちが通じ合っている社員さんやパートさん達です。その人達との離別はなかなか割り切れないものがあります。

ところが社員さん達はなんと上海市嘉定区にある長喜工業団地で働いてくれるとの事です。
「大丈夫?」と確認しましたが、単身赴任のような形で仕事を続けてくれるとの事です。
これで一安心です。新しい工場で新しいパートさん達に技術を教える事が出来ます。
次に呉江工場のパートさんに対してでした。「職を失う」という懸念がありましたが、工員さん達の話によると「湯川会長、彼女らは大変な金持ちです。私もそうですが彼女らは農地の権利を持っている為、生活に困っていません。彼女らの中には分譲マンションの何室か購入し、賃貸で収入を得る事もしています」との事で驚きました。中国事情に無知な私の余分な心配事でした。

(次回に続く)

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