代表取締役 湯川 剛

「ガイアの夜明け」放映後の当時の私のスケジュール表を確認すると、全国を飛び回っていました。なにせ、株式会社銀座仁志川のメンバーは、OSGからの出向社員で対応していましたが、彼らは今までの営業経験から、いきなり「食パン専門店」営業をしなければならず、当然の事ながら「未経験」にて戸惑う事ばかりでした。その分、私が先頭に立って動かなければならない状態です。とは言え、私も全くの未経験者なので「動きながら考える」「考えながら動く」の繰り返しでした。北海道から東北エリアに移動し、帰ってくれば中国エリアや中部エリアにも日帰りで動いていました。それだけ、当時はあちらこちらで店舗物件の確認等に奔走していました。何かしら「動いている」手ごたえは急成長の鼓動を感じます。文字通り、心臓が血液を送り出す動きのようです。72歳の年齢である事もすっかり忘れています。

5月27日の夕方。新幹線車中にて物件を探していた、かつて銀座に志かわ銀座・本店の工房に勤めていて、独立をした宇田川オーナーから「今、物件を契約しました」と連絡が入り、私は「おめでとう」と言いました。独立を決めてから数か月が経ち、中々気に入った物件が決まらず、ああでもないこうでもない、と2人で話していましたのでホッとしましたが、このような事は全国的に起こっていました。当時は、また若いオーナーが「店舗探し」をする為に、私も彼が運転する軽自動車に乗り、物件探しをした事があります。店舗が大きいの、小さいの、間口が広いの、狭いの、予算が足りないの等、話しながら助手席に乗って1日中回った事もあります。とりあえず、「現場を知りたい」事が私にとって大事な目的でした。

5月31日。髙橋社長から「伊勢丹新宿店に続き、三越銀座店の催事が決定しました」と連絡が入りました。ご承知のように「伊勢丹新宿店」と「三越銀座店」は百貨店業界トップクラスであり、そう簡単に催事をする事はできません。まして、オープン以来1年も経っていない「銀座に志かわ」が決まる等、あまり事例がありません。これが実現できたのは、高級フルーツでお馴染みの千疋屋総本店の大島常務のお力であり、大島常務と髙橋社長が昵懇の間柄であった事です。後日、私が「三越銀座店」にご挨拶に行った時、担当責任者の方が「久しぶりに銀座と冠のついた食品が誕生した」と言われ、「千疋屋さんやあんぱんの木村屋さんのように、創業100年を超えているお店があります。銀座に志かわさんも100年を超えるお店になって下さい」と言われた事が、それ以降私の胸にしっかりと刻み込まれました。私は、この話を加盟店様にも話します。そして、「だから私は、100年先を見届けなければならないので、170歳まで生きるしかない」と冗談を言いますが、話す内容は真剣です。

そう言えば、私の机の右側の上の引き出しに常に置いてある「根上」の坂根社長が書いた「奇跡の食パン」の「終わり」にこう書いてありました。
「・・・こうして、思いつくがままに起こった出来事を綴ったのがこの本だ。この奇跡の先には、どんな物語が続いているだろう。僕をはじめ根上のパンを100年先まで残す、という志で結ばれている。・・・」
「創業100年」はとてつもなく長い歴史です。千疋屋さんも木村屋さんも数多くの難関を乗り越えて今日があります。「三越銀座店」のデパ地下売り場の責任者の方が言われた「銀座に志かわさんも創業100年まで頑張って下さい」の言葉は非常に厳しいものであり、「ガイアの夜明け」で少し取り上げられて出店依頼が殺到している自分にとって、緊張が走る言葉でもありました。軽自動車の助手席に乗りながら店舗探しのお手伝いをしている自分自身の「現場主義」を重ねながら、100年に向かっての1年目があるわけです。

さあ、これから私に何が起こるやら。
私の座右の銘「求めて難にあたり、自らの能力に挑戦する」(第30回:座右の銘)。
72歳の挑戦が続きます。

次回、4月1日に掲載します。

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