代表取締役 湯川 剛

1983年2月。松下電器グループの優良企業である松下冷機の元役員の中野忠夫氏をある方にご紹介頂きました。中野氏に「弊社の相談役になって業界日本一の実現に協力して欲しい」とお願いしたところ、1週間後に承諾を頂き早速出社して貰いました。その頃の私はリズムタッチの新発売に加え、相変わらず「指揮官」として教育訓練に忙しくしていました。
出張が重なり10日程、会社を留守にし久々に出社すると中野氏は、まさに私を待ちわびていたかのようにこう言いました。

「私がここに来るのは時期尚早だ」

つまりは「相談役を辞退したい」との事でした。相談役としての部屋もなく、とにかく職場環境がなっていないというのが中野氏の理由でした。
その日の事は当時の日記にも記述が残っていますが、今でもその風景は私の脳裏にはっきりと刻み込まれています。
失礼と思いながらも私はその時、中野相談役に向かって激怒していました。
「我が社には松下のような立派なものは何もない。不備・不足なところは山ほどある。でもこのままで良いとは思っていない。だから日本一を狙うのです。松下のような会社に半歩でも近づくような会社になりたい。だからお願いしているのです。」
感情を抑えられなくなっていた私は、思いの丈をぶつけるように最後には「逃げるのか」とまで言い放っていました。それ程、必死だったのでしょう。気づいた時、私は中野相談役の背広の裾を握り、強く引っ張っていました。中野相談役はそんな切実なまでに強引な私の態度を見て涙を流されました。「分かった、分かったから」と言いながら、私の手を強く握手されました。

自社ビルといえども、敷地30坪のマッチ箱のような会社です。そこへ日本を代表する最大手企業の、ましてや役員まで経験された方に来て頂きたいと望んだ事は、少々無謀な事だったのかもしれません。
私が見てもオフィスの広さは当然の事、机一つをとってみても職場環境として十分だとは思っていませんでしたし、あの「天下の松下電器グループ」と比較しようとする事そのものに無理がありました。しかし敢えて「松下電器グループ企業と比較出来るもの」を探すなら、「夢と志とそれに対する社員ひとり当たりの影響力」だと思っていました。私は必死になって中野相談役の就任を改めて強くお願いした事で理解して頂けたのです。

中野相談役のお陰で私は、製品のコストダウンに対する考え方、すなわち松下イズムを徹底的に教えて頂きました。若い私達幹部や社員にも、ビジネスに対するいろいろな事を教えてくれましたが、それに留まらずリズムタッチの製造元である日本理工にも出向き、製造指導等にも力を注いでくれました。

この年の中野相談役就任から今日まで25年間にわたり、我が社は松下電器グループ出身の役員・幹部社員の方が顧問や監査役へと就任して頂き、OSGの企業成長に大きな貢献をして頂いています。

(次回に続く)

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