代表取締役 湯川 剛

猪木さんとのCM契約も進み、コマーシャル撮りを「鬼の洗濯岩」で有名な宮崎の青島で行なう事になりました。現在、タレントでコメンテーターや俳優としても活躍している元レスラーの高田延彦選手(奥様は女優の向井亜紀さん)も当時はまだレスラーとしての駆け出し時代で、この時は猪木さんの付き人として来られていたのを覚えています。
この1983年は、OSGの社史からみても大変にインパクトのある年でした。中でも大きな出来事だったのは、1973年(昭和48年)に「雑居ビルだからお宅とは取引出来ない」と言ったあの会社の真横に売地が出たという話が舞い込んだ事です。

1981年に本社ビル完成後、私は不動産仲介業者のNさんに「これから東西南北に土地を探して欲しい」と申し入れました。当時は東区・西区・南区・北区の4区が大阪市内の中心区域でした。大阪では南北に走る道を「筋(すじ)」、東西は「通(とおり)」と区別しています。御堂筋・四ツ橋筋・堺筋や千日前通・長堀通・土佐堀通などがその例です。そんな大きな道筋沿いの土地を探して欲しいと依頼していたのです。
実は念願の自社ビル完成ではありましたが「5階建ての小さな本社ビル。これは真の自社ビルでない。実は3日で飽きた」(第74回)という思いがあって、「やはりあの取引を断った会社のように、何としても10階建てのビルが欲しい」という強い思いに駆られたのです。そんな思いもあって私は不動産仲介業者のNさんに、「雑居ビルだから」と取引を断わられた一連の話をNさんにしていました。そんな事もあったのでしょう。

「大変です!これは奇跡です。とんでもない売り物が出ました。」と不動産仲介業者のNさんから連絡を受けたのは、1983年の5月の事でした。
「こんな事があるのだろうか」あまりの衝撃に私は驚きを隠せませんでした。小説の筋書きであったとしても、出来すぎた話です。話すNさんの目は真剣そのものでした。

「本当か」「本当です」「ウソやろ」「本当です」「本当に本当か」「本当に本当です」
そんな会話を繰り返し、ウソのようなホントの話をNさんは身を乗り出すように話しました。「論より証拠」「百聞は一見にしかず」「とりあえず現地へ行こう」と、Nさんと私は車に乗りました。実のところ私はあの出来事以来、断った会社の社屋前の道(谷町筋)を極力避けていましたが、車はそのビルの前を横切ったところで止まりました。そこには誰も住んでいない民家が2軒ありました。

「ここです」とNさんは私に告げました。私は唸りました。数分は唸っていたと思います。

(次回に続く)

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