代表取締役 湯川 剛

1985年のこの年は、会社全体が業界日本一に向かって集中化されていましたが、同時に「丸ごと仕事100%」だけではありませんでした。
5月のゴールデンウィークの休日を1日返上して、私達は「ふれあいの海」を企画しました。企画内容は、身体障害者とそのご家族の方々をフェリー「さんふらわあ号」に招待し、瀬戸内海の船旅を経験して貰うというものです。主旨としては、外出する事を嫌がる障害者の方に広い海を見て頂こう、また日々介護されているご家族には、わずか1日ですが、介護から開放される時間を持って頂こうという内容です。たしか約300人の方が参加されたと思います。
社員さんは、この日1日家族の方に代わって障害者の方のお世話をします。殆どが知的障害児童でしたが、中には成人の方もいて、船の乗降時の介助は日頃慣れていない事もあって大変な重労働でした。でもその中から、社員さん達と招待者の方々とのふれあいがあり、大変に意義のある1日でした。日頃忙しくしている中でのゴールデンウィーク企画であった為、社員さんには強制的ではなく自主参加で希望者を募りましたが、殆どの社員さんが参加し、私は感激しました。
フェリーの甲板で車椅子を押したり、招待者と話したりしている社員さんの顔はとても素敵でした。日頃の介護から解放されたご家族の方々が集まって、大広間でカラオケ大会をしている風景を見て、毎日のご苦労に対してこみ上げるものがありました。

この企画は招待者の募集も含めて産経新聞社の協力で行なったのですが、たしか当日か前日の朝刊と夕刊に記事として2回取り上げられました。1回目の掲載の時に、私は産経新聞社に「記事の掲載はしないでほしい」とお願いしました。何か売名行為的なイメージで受け取る人もいるので、やめてほしいというのが理由でした。にもかかわらず、2回目も掲載されたのです。
「もし記事になるなら、来年からやりません」という約束で翌年も「ふれあいの海」は行なう事になりました。乗船の時も私が社長である事は、全社員には内緒にするように伝えました。ところが船長が皆の前で「感謝状を渡したい」という話がありました。事情を話し辞退を申し入れたところ、船長室で2人きりで受ける事になりました。ところが感謝状の声がマイクを通じて船内に知れ渡りました。よって翌年は感謝状の授与場面もお断りしました。

数年後、この「記事掲載拒否」や「感謝状拒否」について、現在私がボランティア活動をしている社団法人アジア協会の村上専務理事に大変叱られました。
「湯川さんは記事が掲載される事で売名行為的に思われるというが、あなたは売名行為で行なっているのか」と。当然、違うと答えると
「ならば掲載すればいいじゃないか。中にはそのように見る人もいるかも知れないが、中には湯川さんがやる事によって他の会社も同じように行動しようと思う人もいるのです。湯川さんの会社のPRでなく、私達ボランティアをする側のPRにもなるのです。」と諭されました。

この「ふれあいの海」企画の開始前、私は社員さんに私なりの「ボランティア活動」について話をしました。
「たかが1日行った位で私を決して福祉の経営者だと思わないで欲しい。これには大変なコストが掛かっている。皆が日々頑張って稼いだお金が掛かっているのです。」そしてそれぞれが個人の立場に立った時、もし金銭的・時間的余裕があれば、今後もこのような行動を行なえばいい。もし時間的には余裕がないが金銭的に出来るのであれば、寄付行為などもボランティア活動だ。逆に金銭に余裕がないが時間はとれるのであれば、ボランティア活動に参加して下さい。そして時間的にも金銭的にも余裕がない場合にはどうしたら良いのか。それは五体満足に動ける事に感謝し、そうしたくても出来ない人の為に頑張る事も福祉だと話しました。健常者として障害者の方の事を思い、そして一生懸命仕事をする事も私の解釈としてはボランティア活動に参加している事と同じだと思っています。

(次回に続く)

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