代表取締役 湯川 剛

本日の話は今からちょうど19年前の1991年1月14日の話です。

創立15周年の式典の席上で「創立20周年に、第3次5カ年計画の結果報告を行ないます」と約束したが、創立20周年は、お客様はご招待しない。しかし約束は守る。と幹部に言って開催した創立20周年式典は、極限られたご招待者以外は社員だけという式典でした。

そこで私は、「創立20周年式典の時に発表する」と約束した「第3次5カ年の計画報告」を、社員さんの前で行ないましたが、それは「失敗の要因」の報告でした。
経営の未熟さ故にリズムタッチのライバル出現を阻止出来ず、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだった私は、演壇から降りて「本当に申し訳なかった」「みんなの現場での努力にご苦労かけている」と会場を歩き、頭を下げて廻りました。そんな私の姿を見たからでしょう。幹部が涙し、またそんな幹部の姿を見て社員さん達がもらい泣きする光景を見て、今度は私が思わず泣いてしまったのです。おかしな話です。
私はここで泣く為に集まったのではありません。私はここで泣く為に謝罪しているのではありません。こんな為に銀行の支店長や阿比留社長、そして絶対に今までお互い弱気な姿を見せる事はなかった小早川さんにまでこんな姿を見せてしまうとは思ってもみませんでした。

私は会場を一周りした後、演壇に上がり演台の前に戻りました。そして、こう叫びました。
大きな声で「ただ今より、第4次10ヵ年計画を発表します」
会場はシーンと静まりかえりました。
もう一度「ただ今より、第4次10ヵ年計画を発表します」と言って、
「2001年、創立30周年に株式上場します」と発表しました。
会場は、全体がきょとんとした空気が流れました。第3次5カ年計画も出来ないのに、何が株式上場だと、そんな空気が流れていました。まして10年先の事です。
私は「今日は泣く為に、全国から集まって貰ったのではない。第3次5カ年計画は失敗した。でも敗北ではない。次がある。10年あれば立ち直れる。10年あれば、今出来ない事でも結構出来るものだ。」

その後、引き続いて第4次10カ年計画の社員決起大会が開催され、私は記念スピーチとして「潜在意識にプラス思考」と題し1時間半、話をしました。
午後から始まった創立20周年記念式典も夕方にはパーティーがあり、優秀社員の表彰や抽選会などで大いに盛り上がりました。会場の雰囲気は、まるであの「謝罪の場面」などすっかりなかったかのようでしたが、私にとっては大きなけじめであり、あの場面がなければ前に進めないと思ったのです。私は社員さんの前で、自分の胸にしっかりと「第3次5カ年計画の失敗」を教訓として刻みました。

式典・パーティーの最後の挨拶で、私は「創立20周年はお客様をご招待して出来なかったが、創立21周年記念式典を6月に決行する。21周年だ!!」と発表しました。

(次回に続く)

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