代表取締役 湯川 剛

1992年1月4日の初出式で、私は再び営業本部長に就任しました。
「OSGには今年、社長は存在しない。私は営業現場の最高責任者である営業本部長として皆の先頭に立つ。だから皆は、共に現場に立つ私の後姿を見てくれれば良い。誠意と熱意を込めてやれば、必ず成果は後からついてくると信じている。社員育成についても、現場での実践を通して教えていく。」当時の新年の挨拶の原稿では、そのような事が書いてあります。
仕事始めであった1月4日は土曜日でしたが、翌日曜日の5日には営業をスタートしていました。そんな新年早々の6日の朝、大手機械総合商社Y社から厳しい連絡が入りました。
「OSGとは取引が出来ない。調査会社の格付けによると我が社の条件に合わない。」という内容でした。その夜には幹部社員のお父さんのお通夜があり、湿った気持ちの1992年の開幕のゴングが鳴りましたが、私の本部長就任に相応しい幕開けだと心に言い聞かせました。

翌日、「営業本部長就任キャンペーン」を販売店に向けて発表しました。
つまり私が営業本部長になった、その為のキャンペーンだという事です。
大手農業メーカーの1社であるI農機や家電卸のD社の幹部は異口同音に、こんなキャンペーンは初めてだと笑っていました。1月に浄水器1万台の注文を獲得する事で、私は1月を文字通り殺人スケジュールで動きました。
I農機には47都道府県に1社ずつ地域販売会社があるのですが、私は各都道府県を訪問する事にしました。1日2県の地域販売会社を訪問する日程で、まずは秋田から南下する日程で動きました。秋田に前日に入り、翌朝、秋田I社と面談し、昼過ぎには宮城I社を訪問。夜には群馬に入り、翌日群馬I社を訪問。昼過ぎには新潟I社という具合です。
I農機本社のW部長が同行下さって東北地区が終わり、関西や中国・四国地方が終わりかけた時、私は1つの事に気付きました。
「なぜ隣接県を訪問する日程ではないのだろう。動きに無駄があるように思うが・・・」
そんな質問をしてみると、I農機本社のW部長から返ってきた回答は
「いやぁ、実はあのエリアの販売会社はアンチOSGさんですので避けたのです」との事。
彼なりに配慮してくれた事は分かるのですが、私が各都道府県の地域販売会社を訪問しようとした目的からすると、それでは的外れなのです。
「とんでもない。そんなところ程、優先的に訪問しなくてはいけないのに・・・!」
結果的にはアンチOSGの地域販売会社にも私と会って頂き、大きな注文を頂きました。

1月が過ぎ2月に入って、何としてもロケット発射をしなければならないと、真冬の日本列島を走り回りました。
I農機の全国地域販売会社に加え、家電卸D社の全国営業所も訪問行脚しながら、新年早々にキツい連絡を受けたあの機械総合商社Y社とも連絡を取り、2月18日にD本部長とのアポが実現しました。相手は東証一部の取締役営業本部長。一方こちらは中小企業の営業本部長。
「格付けによる取引不可は、気に入らない。貴社も過去に悪い実績や状況もあっただろう。そんな時に取引しましょうと言われたら、どんなに嬉しいか。お互い営業を預かっている最高責任者の営業本部長同士だ。D本部長ならお分かり頂ける筈だ!」
D本部長は、大笑いしながら手を握ってくれました。

その10日後の2月28日夜、三和総研によるトップインタビューが行なわれました。インタビューの内容は「我が社の強みと弱み」。ここからOSGの課題や改善策を探す事になりました。10年先はまだまだ先ですが、少しずつ動き出していました。

(次回に続く)

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