代表取締役 湯川 剛

1992年3月7日 19:00に幹部から1本の電話が入りました。
「やりました!社長、いや本部長。やりました!!大阪ガスさんが採用を決定してくれました。」
大阪ガスグループの大阪ガス住設様が、試験的にOSGの浄水器を取り扱ってもいいという報告でした。

私達は半年ほど前から「大阪ガス市場に参入出来ないか」と考えていました。そこには2つの大きな理由がありました。1つは継続的に販売して貰う市場を構築しなければならないという事で、ガス業界に狙いを定めました。まずは地元の大阪ガス様との取引を実現する事で、それが可能になると判断したからです。勿論、株式公開には重要な要因になる筈です。
2つ目は私達の「仕事の誇り」です。当時から浄水器を扱っている会社の中に、いわゆる「悪徳業者」の存在がありました。その為「浄水器を扱っている」というだけで、どうしてもネガティブなイメージで見られました。私もそのような場面に出会った事がありますが、社員さんはもっと嫌な目に会っているのではないかと思いました。例えば、結婚する時などです。親戚や友人が結婚相手に対する興味・関心として質問する事柄として、容姿や性格と並んで「どんな仕事をしている人なのか?」という点は大きなポイントだと思います。
今でこそ「時代にあったいい仕事をしている」と評価して頂けますが、当時は非常に厳しいものでした。私が一貫して取引先の規模や知名度にこだわったのは、そのような背景があったからとも言えます。1992年当時の取引先の約半分は、大手上場・有名会社系との取引でした。石油業界・農機具業界・自動車業界などの取引は、売掛回収が安心だというのも大きな理由でありましたが、それよりもむしろ2つ目の要因がより大きく影響していました。それだけに大阪ガス様との取引は、我が社にとって単なる「市場構築」に留まらない意味があった訳です。

いずれにせよ大きなチャンスを頂いた訳ですから、何としてでも大阪ガス住設様やガスショップ様に喜んで頂いて、正式な取引を頂こうと報告の喜びと同時に気を引き締めようと電話口で話しました。とはいえ、「気を引き締めよう」と言った筈の私の方こそ、大きなチャンスを頂いたという喜びは抑え切れない程のものがあって帰宅後、玄関のところで「神様、ありがとうございます」と大きな声で叫びました。

後年、ジャスダック上場を果たした時、ジャスダック証券取引所の専務理事が来社された際、「人生最高の喜びでしょう」とおっしゃられました。私は「いいえ、嬉しいというより緊張しています。」と応えました。専務理事としては「上場を果たした事は企業家として、この上なく嬉しいものだろう」と思われての事だったのでしょうが、私としては「大阪ガス様との取引が決まった夜」こそ、心の底から喜んだ最高の日だったのです。

(次回に続く)

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