代表取締役 湯川 剛

何としても大阪ガス様(以下、「大阪ガス」と敬称略)と取引をしたい。理由は大きく2つあって、1つが継続的に販売して貰う市場を構築する事。2つ目は私達の仕事への誇りです。
しかし敢えて3つ目があるするなら、それは極々個人的な感情ではありましたが、私の胸に秘めていた「大阪ガス」に対する強い思いが影響していました。

会社を創立して間もない頃の話です。今思えば、まるで「浄水器の普及活動」のようでしたが、悪戦苦闘の訪問販売を一時期していた事があります。100軒訪ねても1軒すら話を聞いて貰えない事もある、そんな厳しい日々でした。
当時、エレベーター付の集合住宅というのはそう多くはなく、5階建てでも階段のみというのは普通でした。下から順に1軒1軒訪ねて誰も相手にしてくれないのが続くと、どんなに根気強い人でも途中で嫌になってしまうものです。そこでまず最上階まで一気に上ってから、1軒1軒訪問しつつ階を降りるという方法をとっていました。
大阪府の東方面に位置する八尾市にあった雇用促進団地での出来事です。1フロアーは20軒程で、両サイドに階段が設置されていました。私はいつもの通り、一気に最上階の5階まで上がって、4階・3階と廻り、2階のお宅を訪問しようとしていた時の事です。すると向こう側の階段を上がってきたセールスマンらしき人が、私と同じく2階のお宅を訪問しようとしていました。
私は心の中で、「下から上がってくるなんて、分かってない男だな。彼も私と同じく断られるだろうなぁ。可哀相に。」と思いながら、次のお宅のインターフォンを鳴らしました。勿論、門前払いでした。私は彼の方に近づく形で、また次のお宅のインターフォンを鳴らそうとした時、彼はインターフォンに向かって「大阪ガスです」と告げました。すると明るい声に導かれて、すんなり中に入っていくではありませんか。途端に自分が惨めに感じられました。勿論、私はこの彼が訪ねているお宅のインターフォンは鳴らしませんでした。そして無名である事の悲惨さを痛感し、そのまま残りのお宅を訪問しないまま、その日は帰社しました。同時に「大阪ガス」という会社が途轍もなく巨大で太刀打ちできない会社のように感じられたのです。

人生は後から振り返ればまるで最初からストーリーがあったように語る事が出来ますが、その時、その時で未来がどうなるのかはまさに「神のみぞ知る」ところで、誰も見通せている訳ではありません。このように私の「大阪ガス」への思いは、仕事上というより個人的な感情の方が強く働いていました。

そんな当時から数えて20年が経ち、例え試験的といえども大きなチャンスを頂いた事に喜びと闘志が湧かない筈はありません。テスト期間の6ヶ月は、本当に社員の皆さんが頑張ってくれました。このエピソードは誰にも語る事無く、私の胸に秘めていた出来事です。

(次回に続く)

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