代表取締役 湯川 剛

1996年2月21日夜、いよいよ管理本部を中心とした第1弾チームが出発。翌日には第2弾チームとして営業本部が出発し、最後に2月23日金曜日の夜に管理本部の幹部を中心としたメンバーが第3弾チームとして出発。これでお客様対応は万全でした。

現地時間で23日金曜日の午前11時からオアフ島のタートルベイリゾートのプライベートビーチを借り切って運動会を行ないました。全て社員さんの運営の元に開始されました。
内容は、営業所を東西に分けての対抗戦。東西各チームの入場行進から始まり、ラジオ体操や選手宣誓など小学生時代の運動会を思い出させるようなプログラムで、全社員さんが子供に戻ったような気持ちで参加していました。勿論、私も社員さん達と同じでした。障害物レースや玉入れ競技・定番の綱引きなど、全員が勝敗にこだわって真剣に競技しました。日頃の仕事も忘れ上司部下の関係もなく、歓声と笑いとが澄み切った青い空と青い海に染み込んでいました。私は東西のどちらの陣営にも入れないので、本部席で見ているだけでしたが、それでも社員さん達の笑顔は必然、私にも感染したようで終始笑っていました。そんな私でしたが東西対抗騎馬戦で、ある場面をめにしてから何か「違和感」を感じました。

東西対抗騎馬戦では、東チームの方が圧倒的な勝利で、2勝0敗で終わった時の事です。 審判員を務める管理本部の社員さんが、騎馬の数を確認すると東チームの方が多い事が分かりました。そこで西チームから騎馬の数を増やす事になりましたが、男子社員が足らなくなり、そこで女子社員が数人騎馬戦に参加する事になったのです。私が「違和感」を感じたのは、紛れもなくこの場面でした。本部席で隣の男子社員に「女性が騎馬戦に参加して大丈夫?」に「別にいいんじゃないですか」と軽く言われた事も、正直ショックな事でした。
いつまでも若いと思っていましたが、さすがにこの時は社員さん達との間に価値観の違い、いわゆるジェネレーションギャップを感じずにはいられませんでした。当時、私は49歳でした。

ビーチでは無事運動会も終わり、ランチタイムはバーベキューで盛り上がり、いよいよ後は夜の25周年パーティーへとなりました。全員がバスで移動し車中でも一瞬たりとも静かになる事はありませんでした。気分は小学生で、私もその輪の中に入っていましたが、しかし何か心に引っかかるものがバスの中でもありました。
この若い人達と兄弟のようにしてこの25周年間駆け巡ってきたけれども、既に親子のような年齢になっている事を今日の運動会で改めて感じさせられたのです。

その夜のパーティーも大いに盛り上がりました。パートさんも含め全社員さんが一堂に集まる事でさえ、楽しい時間なのに更に25年間で初めての大奮発をした抽選会は、テンションを更にMAXテンションに引き上げました。バブル崩壊後の不景気のど真ん中でありましたが、社員さんには感謝の気持ちと利益の還元を目的に抽選会の景品を決めました。

日頃の難しい顔をして数字を追いかけているあの顔はどこに行ったのでしょう。笑顔・歓声以外のものはありませんでした。やってよかった。本当にやってよかったと思いました。

最後に私の挨拶がありました。
私は「ハワイ宣言」としての前置きをしました。まず若い時、このハワイの地に1人で来た話をしました。そして25年間の歩みを簡単に話して、最後に次の言葉で締めくくりました。

「あと10年で私は社長をやめます。社員の皆さん、これがハワイ宣言です。」と言いました。「これからの10年は新しい本社ビルを建設し、株式公開をやらなければならないテーマが山積です。私には時間があるようでないんです。」と、盛り上がった雰囲気の中で話しました。

60歳で社長をバトンタッチする。幹部も全社員の皆さんも半分は本気、半分はジョークで聞いていたかもしれません。

しかし私はこの日から改めて、10年の期限を切ってスタートをしたのです。

(次回に続く)

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