代表取締役 湯川 剛

完全に回復したと言い切れないまま術後の私は、手術以前にも増して走り回りました。
OSGの仕事だけでも目いっぱいなのに、アントニオ猪木さんから「新日本プロレスの人事の相談に乗って欲しい」と言われ、人事一新の嫌な役回りを引き受けました。
詳しい事は他社の事ですので書きませんが、如何に旧態依然の体質が会社を崩壊への道へと進む事を反面教師として学びました。
猪木さんからは「現在、新日本プロレスが存在しているのは、あの時の湯川さんの大手術があったから」と言われるほど、大ナタを振っての改革でした。
特にテレビや新聞などマスコミに登場する有名な選手の皆さんなので、気が引けるところもありましたが、それはそれと割り切ってリング外の戦いをしました。

メディア登場と言えば、当時、派手なコマーシャルで一躍有名になったソーラー会社が、販売員の対応のまずさでバッシングされていました。私はその会社のH社長の魅力的な人柄が大好きで(といっても、テレビや雑誌でしか知らないのですが・・・)何とか勇気付ける事が出来ないのかと思っていました。幸い私が経営者勉強会に所属しています代表者がH社長と親しいとの事で、ご紹介頂きました。ちょうど岩谷産業九州エリアのセミナーに廻っていましたので時間を作って、大分にあるソーラー会社を訪ねました。

私はH社長の事をテレビや雑誌で知っていましたが、当然の事ながらH社長は私の事を当然の事ながらご存知ありません。「多くの知人は今回のバッシング問題で私から離れていったが、湯川さんのように大阪からわざわざ私に会いに来るなんて、物好きな人もいるものだ。」と苦笑されていましたが、私は「この困難を乗り切るH社長に、私のような応援団もいることを知ってもらいたい。H社長と弊社とは社員の数も知名度も圧倒的に違います。社員の数が多ければ、中には不心得社員もいるでしょう。知名度が高ければ高いほど今回の事は逆作用が働くと思います。しかしH社長なら必ず乗り越えられると思います」2時間ばかりの面談でしたが、私にとっては大きな収穫を得ました。

紹介して頂いた勉強会の代表も「こんなバッシングされている会社に訪問するのは、自社のイメージもあり、大体は行かないものだ。湯川さんは以前からテレビやマスコミに登場している当時有名なH社長に会わせて欲しいと言っていたが、湯川さん以外の多くの社長さんも言っていたが、今回の問題でそんな依頼はなかったような顔をしている。しかし湯川さんだけは別だ。問題が起こっても変わる事無く、紹介してくれ。」と言われたが、何もH社長自身が反社会的な行動した訳でもなく、一部の心ない社員の対応ミスが今回の問題を引き起こした事。
しかし同時にこれが会社全体を揺るがし、経営者としての責任をとらなければいけないという事を強く学んだ事も事実です。私はこのソーラー会社の玄関を潜り抜ける時、さらに経営者の責任を認識しました。

ちなみにあれから10数年が経ち、従来に増して見事に回復され、九州の有名地域マラソンのメーンスポンサーとして、久しぶりにテレビでその会社名のゼッケンを見ました。
さすがH社長の忍耐と行動力と指導力に脱帽です。
「嫌な事、キツイ事を乗り越えた時の方が、嫌な事、キツイ事から逃れてホッとするより喜びの方が大きい」とは誰が言った言葉か忘れましたが、まさにそうだと思います。喜びだけでなく、そこには人間的成長もそれに加わると思います。

自ら改革する事を恐れ、嫌な事を避けようとし、先送りし、首の皮一枚でたまたま外部の力で生き残る企業もありますが、身を削る気持ちで崩壊寸前の会社を立ち上がらせた企業もあり、いろいろな経験をした1999年の夏でした。

H社長は帰る間際に言いました。

「湯川さん。少々の事では崩れない、諦めない、グチらない」

(次回に続く)

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