代表取締役 湯川 剛

2002年の年が明けました。
我が家では元旦におせち料理を頂く前に、私から一言、新年を迎えて話す事があります。
その後、家族ひとりひとりが新年の抱負などを話し、日本酒で乾杯をしておせちを頂きます。
さて、2001年の元旦の話。
「今年も厳しい年になると思うが・・・」
私が発したその言葉に、女房がぴしゃりと一言。
「あなたの話は毎年、厳しい年になる。その次の年も厳しい年になると、同じ話ばかり。」
見事な先制パンチ!黙るしかありません。撃沈です。

毎年、年の初めから「今年は厳しくなる」と決まり文句を聞かされる家族にすれば、いい加減にして欲しいというのが本音でしょう。
客観的に考えてみれば、そんな事を言っても言わなくても厳しい年は毎年訪れる訳です。
1度くらい「今年はめちゃめちゃ楽な年になりそうだ」と言ってみたいものですが、私の性分として生涯有り得ない事だと思います。
そんな事もあり、2002年の元旦は「今年も厳しくなる」という言葉はぐっと飲み込んで
「今年も元気で・・・」と静かに乾杯をしておせちを頂きました。

弊社は1月決算なので、「毎年決算明けの2月1日だけお正月気分」等と言ったりする事もありますが、実際は新年度を迎えて気合を入れなきゃならない訳ですから、あくまでもそれは言葉上での事。私にとってお正月気分を味わう等という事は永遠におとずれないでしょう。
まずは1月決算を仕上げる事。上場後、初めての決算です。
決算が終われば、3月に決算説明会があり、4月には初めての株主総会。
それだけに何としても予算以上の達成に向けて、株主総会を迎えようと思いました。
更に10年かけて行なった第4次10カ年計画。最後の決算月です。

本来は次の中長期計画を、前年の秋くらいに立案しておかなければならなかったのですが
第5次は何カ年計画で何をしたいのかの具体性もなく、結果的に明確にしていませんでした。
それほど前年は株式公開実現に向けて、全てのエネルギーを傾けていたと言っても過言ではなかったのです。「第5次の中長期計画立案は1月中でよい」と思っていました。

1月、慌しく第5次4カ年計画(2002年2月〜2006年1月)を決定。
国境を越えない企業は生き残れない。またこのままの事業だけでは売上拡大を望む事は難しい。だから、この4年間で海外進出を図り、また事業領域を広げる。

「本社ビルを建てるぞ」「業界日本一になるぞ」「株式公開するぞ」というこれまでの中長期計画と比べ、目標が数値化されている訳でもありませんし、従来のようなエネルギッシュな中長期計画の発表もありませんでした。やるべき予算は数字化されていましたが、明確さに欠けるものだったように思います。
「勝ちドキドキ作戦 エイエイオ−!エスジー」という名称も従来にない、曖昧な表現でした。
そしてこの第5次4カ年計画は後々、弊社に数字として残す事の出来ない結果となったのです。

『2002年1月31日の日記
厳しくかつ不透明な時代の企業経営は、原点に戻り
@トータルコストダウン経営 Aイノベーション経営 B差別化経営 の3つを徹底的に進める必要がある。
またチャレンジ精神・負けじ魂を今一度奮い立たせ、「自分の城は自分で守る」という何よりも「寄りかからない経営」を目指す事が重要だ』

そして日記の最後は
『今年も厳しい年になりそうだ。』と締めくくっていました。

別にこんな事は家族に言わなくてもいいんだ。

(次回に続く)

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