代表取締役 湯川 剛

5月末に突然、13年ぶりに四国のA社のH社長から電話がありました。
是非、一度会ってほしいとの事で私は6月4日、大阪発のANAに乗りました。
H社長は保険代行会社を手広くやられ、「交渉・示談の神様」と言われる程、地方にいながら全国区で活躍されている名物社長です。私が40歳の時に56歳のH社長と出会い、それ以降、私はH社長のファンになりました。毎年、カツオのたたきをご馳走して頂くような間柄です。

話によると保険契約のご縁から家庭用アルカリイオン整水器等の製品を生産している取引先を引き継ぐ事になったらしいです。豪快な人柄と面倒見のよさがそうさせたのでしょう。

幹部社員が空港で出迎えてくれました。改めてH社長の年齢を尋ねてみると72歳との事。
これが第2工場です。次は本社工場に行きます。と、社長に会う前に工場を見せてくれました。
どれも素晴らしい工場です。清潔で工場敷地も広く、医療器具を生産するに相応しい環境でした。最初はこの工場を私に見せるために呼ばれたのかなと思いました。 久しぶりに会ったH社長は開口一番、最近夢に私が出てくるとかで、急に会いたくなったと言われました。食事の席で、「それにしても何故私が夢に出てくるのですか。恋人でもあるまいし。」と13年の長い年月をほんの数時間で埋めるくらい2人は旧友を温めていました。

なぜ、医療認可工場の経営を引き受けたのかと質問しました。「倒産した会社の社員さん達の行く所がないので面倒を見よう」という事で、H社長の人柄が手に取るように分かりました。

その日の話をまとめると、倒産の際にいろいろな問題が浮上。社内で分裂が生じ、片方を創業した経営者からH社長が引き継ぎ、もう片方は倒産の原因の共同責任でもあるにも関わらず、経営幹部がいろいろな問題を残して独立。しかし、今では立派な会社になっているそうで、私はこの時、初めてその会社の存在と創業の経緯を知りました。

「会社の考え方は経営者で決まる。人間の考え方も3つ子の魂100までの例え通り、その会社も創立時の考え方でやっていると必ずダメになる。OSGも負けずに頑張らなきゃダメだ。」「この会社の設立の経緯を同業の湯川さんにだけは知っておいて欲しい」と言われました。
これは私(H社長)からの遺言だとの事でした。勿論、この話の真意の程は分かりません。
私は久しぶりに会った面談の目的がそれだけだというので、それはないでしょうと冗談とも本気ともつかないままで終わりました。
でも社長の立場としては誰かに知っておいて貰いたかったのでしょう。
帰り際に私に何かお手伝い出来る事があればいつでも言って下さいと言い残し、17時発のANAで大阪に帰りました。いつものようにカツオのたたきのお土産を頂きました。

その1ヵ月後、H社長が亡くなったと言う知らせが来ました。私は訃報に驚きました。
7月19日、A工業の社葬に参加。H社長の遺影をみながら、何の遺言だったのかを考えるばかりでしたが、「OSGも負けずに頑張らなきゃダメだ」を叱咤激励の遺言として受け取る事にしました。

(次回に続く)

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