代表取締役 湯川 剛

前日に決算説明会を終えた私は、翌日2003年9月19日に成田11時5分発で上海に向けて飛びました。
上海に行く目的は2人の人物と会う為です。1つは古い友人K氏と会うためです。
もうひとつは新しい友人になるかもわからないT社の金菫事長と会うためです。

K氏についてお話します。この「人生はプラス思考で歩きましょう!」にも度々登場します。舞台は1971年。当時、私に浄水器という製品を教えてくれたのがK氏です(第22回〜)。そういう意味では私に水ビジネスのきっかけを教えてくれた命の恩人です。
ところが、K氏は私にとって命の恩人であると同時に、当時の私を崖っぷちに突き落とすような人物でもありました。(第29回)。
その後、K氏の会社W社が倒産。反社会的な人達がK氏の会社に入り込み、その結果、K氏は家族にも知らせず行方不明。その数年後、ひょんなきっかけで台湾に潜んでいる事が判明し、私を崖っぷちへと陥れたK氏でしたが、彼の家族を伴い台湾へ。数年ぶりの家族の再会の橋渡し役も果たしました(第40回)。
話によると逃亡の間、K氏は台湾で浄水器生産をして生活していたとの事。

このK氏が私に「自分が台湾で暮らしていた時にプラスチック加工を経営している若い夫婦がいる。この夫婦が家族とも中国に渡り、中国で新しい会社FCP社を設立した。今は金型成型からアッセンブリまでしているので、OSGで何か注文があれば生産して助けてあげて欲しい」と持ちかけられたのが、2000年頃の事でした。

この若い経営者夫婦はK氏に台湾でアッセンブリ等のアドバイスを受けていたとの事です。
FCP社では社長が奥さん。副社長兼工場長がご主人。中国に進出した時はある会社の工場を間借りしてやっていたのですが、この度、大きな敷地を購入。K氏はそのFCP社の工場を「是非、見てあげて欲しい」との事でした。

当日、K氏に紹介されてその若い経営者と夜4人で食事をしました。
K氏を通じてFCP社と知り合い、中国の空の下で一緒に食事をしている事に私は不思議な感覚になりました。
私より10歳年上のK氏。今まで散々私に苦労をかけ、私に対して数々の嫌がらせを繰り返し弊社の社員さんから見れば許しがたい存在であるK氏でありましたが、私には不思議と憎めない存在でもありました。やはり私の水ビジネスの原点を教えてくれた人だという恩義があったのでしょう。
私とK氏の2人は、いつ決別してもおかしくないのに、こうして今も私の目の前にいる。
このK氏も私に対して何もなかったかのように悪びれる事もなく接していました。
赤ワインで乾杯をしながら、K氏は「湯川社長がもし中国に進出したならばこのFCP社を利用してあげて欲しい」と言いました。

まさかこの会話が数年後に実現するとは、この4人の誰もが知りませんでした。

(次回に続く)

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