05年10月、元旧アクアCジャパンの社員で前職がアクアC勤務の3人組とOSG独自の水宅配事業立上げに対し、連日打ち合わせを行ないました。
打ち合わせには五菱ナイロンの三田村役員やカリスマファンドマネージャーと言われた藤本塾長らが参加する事もありました。
10月29日(土)13時から準備打合せ会議が始まりました。
水宅配会社は「株式会社ウォーターライフジャパン」と命名し、本部をOSG本社社屋内に設置。全国に東京・名古屋・大阪・福岡・仙台、それと北関東エリアで1ヵ所の計6ヵ所のプラント候補を探す事になりました。プラント候補はLPG(プロパンガス)業界中心に狙いを定めました。
当初は11月11日の設立を目指していましたが、これは余りにも時間がないとの事で断念。
コンセプトを徹底的に話し合いました。また社名とは別に製品ブランド名やロゴマーク等も話し合いました。資本政策は主に藤本塾長が担当する事になっていました。
この日の会議では「11月末までのあるべき姿」として、下記のような事が決まりました。
1.第一段階のサーバーを決定する。06年1月まで。
2.ボトル・キャップ(シャーリング付)も同様
3.製品ロゴマーク・社名ロゴマークも決定。名刺は12月1日からとする。
4.独自プラントの方向性を決める
5.OSGがアクアC離脱に対して、誤った情報が流れていけば正しい説明を行なう
6.ミネラル液プラントの工事にかかる
7.エリア加盟店等の契約書、及び全ての書類等は準備を完了する(弁護士検証済)
藤本塾長との面談で「水宅配事業はOSGの資本だけでは行なわない。幅広く出資者を決めて多くの方々からこの水宅配ビジネスの協力者を作りたい」旨を伝えました。
藤本塾長が「出資者としてどこか希望の会社がありますか」と尋ねられたので、私は3~4社の大手企業の名前を出しました。カード会社・宅配会社、そして大手商社の名前も出しました。
こだわったのは特に大手商社です。旧アクアCジャパンは結果的には倒産しましたが、創立から短期間で成長出来たのは五井物産の賜だという事を、関係者は知っていました。それだけに大手商社の出資にはこだわりました。
「具体的な希望商社はありますか」という質問に私は迷う事なく「伊藤忠商事をお願いします」と言いました。三菱商事でもなければ、住友商事でもなく伊藤忠商事と言った理由は定かではありませんでしたが、藤本塾長にははっきりと名指しをして出資の依頼をしました。
それから数ヵ月後、藤本塾長から「湯川さんの言われた会社は全てダメでした」と回答がありました。私はどうしてダメなのか、またどの担当者と話をされたのか、まして「本当に打診したのかな」など確認する事もなく塾長の回答をそのまま受入れました。
11月21日、私は五菱ナイロンの三田村役員と藤本塾長が経営するR社(第240回掲載)を訪問。
そこで藤本塾長から意外な人物の名前を聞きました。
「湯川さん、石塚さんをご存知ですか。あの有名なアパレルメーカーで直販をしているカリスマ経営者の後継者になり、1期目で辞任したあの石塚さんです」
「私はファッションに対しては全く関心もまたセンスもなく、その業界に対しては詳しくは知りませんが、石塚さんの事はテレビで拝見した事があります」
その石塚さんがどうしたのですか・・・
追記 今年も1年間「人生はプラス思考で歩きましょう!」を読んで頂き、ありがとうございました。 私は相変わらず16年も東奔西走の365日でした。365日の内、145日は海外出張という事ですので、5ヶ月は日本を不在しているという事です。 特に11月はホーチミン(ベトナム)→ジャカルタ(インドネシア)→シンガポール→クアラルンプール(マレーシア)→バンガロール(インド)→台北→マカオ→珠海→上海→ソウルと21日間、東南アジアを中心とした海外の取引先訪問で、滞在20時間とまさに弾丸スケジュールのエリアもありました。東南アジアでは気温が30度近くある一方、ソウルではマイナス5度という寒さです。 プライベートでは、いつも親しくダメ大関と辛口を言っていた豪栄道関が優勝してくれました。 皆さんにとってこの1年はどうだったでしょうか。
05年の出来事を中心に書いています。
今から11年前の出来事と言えば、
愛知万博・中国全土で反日デモ・そしてJR福知山線脱線事故 死者107名の大惨事もこの年でした。流行語大賞:小泉劇場 想定外などがありました。皆さんは、何歳の時でしたか。
今年は12月21日から24日までの上海出張が最後になります。
また4年前に当時18歳であった中国青年を日本に連れて帰り「いつかはWWEに入団」と言っていた事が、何と6月にWWEに入団して私自身、夢の実現に驚いた年でもありました。
また今年は「猪木VSアリ 40周年」の企画に「6・26/世界格闘技の日」の記念制定で動きましたが、その6月にマホメッド・アリさんが亡くなるという劇的な事も体験しました。
中国初のプロレス道場オープン等、私の唯一の趣味である格闘技においても劇的な1年でした。
(次回に続く)
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