代表取締役 湯川 剛

「人生はプラス思考で歩きましょう!」の現在掲載されているのは、06~07年にかけての出来事です。大きくは中国事業と水宅配事業の事について書かれています。当然の事ながらOSGには従来の事業があり、書かれている2つの事業だけを私自身している訳ではありません。ただ「新事業に挑む」という事で掲載しているのですが数ヶ月単位で中国事業と水宅配事業の話を交互して書いていますので、読んでいる方は時々混乱されるかと思います。書いている私自身も同年月でそれぞれの事業が大変な状況に出会っている事に書きながら驚いています。

例えば中国では「衛生部ショック」という大打撃を受け精神的にも体力的にもボロボロになって帰国しているのですが、国内においては新規参入の水宅配事業を取り組まなければなりません。この2つの事業に共通している事は、当然の事ながら未経験であるという事です。だから私も大変ですが、この事業に参加した社員さんも大変だったと思います。私の性格上「まずは私が体験してみる」となり先頭に立って走りますので、まさに当事者です。現場の問題も全て当事者として対応しなければなりません。社員さんに「君らで何とか対応しておいてほしい」とは言えない性格です。それだけに問題はもろに受けます。「上司と相談します」という逃げが出来ません。だから突然「ガロンボトルが出せない」と言われると、自らその対応をしなければならないのです。ガロンボトル確保の為には時には土下座したりして(第321回)、常に新たな問題に直面し東奔西走している訳です。

中国事業と水宅配事業のいずれも未経験な事に挑む時、多少の切り替えが出来るのは私の思考回路や行動パターンが「海外活動」と「国内活動」という区分けがあるので出来ているのかもしれません。日本に帰ってくれば中国の事は物理的に仕方がないのです。例えば、急な問題が発生したからと言って大阪から電車に乗って上海に行く事も出来ません。一々、国境を越える度にパスポート提出の”儀式”もあり、割り切っているのかもしれません。よって後は現地の社員さんに任せるしかありません。
同じ様に中国に行くと水宅配事業の課題に対して考える暇など一切ありません。空港に到着した時から帰国するまで、中国事業のスケジュールはいっぱいです。殆どが毎日、中国国内を移動する為に飛行機に乗っている状態です。日本の事など考える暇がないのです。よって水宅配事業に対しても同じ様に日本にいる社員さんに任せるしかありません。そんな感じですので、その時は気がつかなかったのですが、このようにして掲載して見ると「新事業に参入する」という事はいろいろな問題に同時にぶち当たり、大きな壁に阻止されるという事を中国と日本で同時に出会うのです。それを別々の課題として同時にこれもぶち破りながら前に進まなければならないのです。さながら障害物競走をしながら棒高跳びを同じコースで競技しているような感じです。

さて前回までは中国での出来事でした。突然の衛生部ショックを発端とし欧愛水基は冬の時代に入るのですが、同時に日本国内での新事業である水宅配事業も衛生部ショック並みの出来事が次々と起こります。
時は06年5月23日です。場所は品川パシフィックホテル(現在の品川GOOS)です。私と粟山氏と石塚氏とでウォーターネットのトップ人事について話し合いを持ちました。人事は石塚氏と藤本塾長とでまずは決めます。その後、私に報告する訳です。その時の大きな課題は、ウォーターネットの社長を誰にするかでした。結論から言えば、ウォーターネットの社長は粟山氏が就任する事がこの会議で決まりました。たぶん粟山氏が事前に2人に対応したのでしょう。大手LPガスの営業本部長まで経験し、同会社の子会社で水宅配事業をいち早く導入した実務派の粟山氏にとってみれば、育ちの良くて実践経験の浅い石塚氏など赤子の手を捻るようなものです。さて問題は粟山氏が加入するまで、ウォーターネットの社長に就任する予定で話を進めていた五菱ナイロンの三田村役員への対応です。さぁ、この人事をどのように説明するのか、また誰がするのかという事でした。

その前に何故、正式決定ではなかったが以前から既成路線として社長就任の流れであった三田村氏が突如、トップ人事が変わったのかという事です。途中から粟山氏がウォーターネットに参加した事で石塚氏や藤本塾長の考え方に変化がありました。「水宅配のような川下産業に素材メーカーのトップが来ても何の役にも立たない。それよりも経験豊かな粟山氏をトップにしよう」との事を私に事情を説明しました。私は「困ったな。三田村氏は現在、五菱ナイロンに在職中だが、来年には辞められてウォーターネットの社長になる気持ちです。我々のプラントにはろ過膜が必要なものです。素材メーカーの経営幹部までなった三田村氏が社長になってもおかしくないのではないか。そして実務的に現場を把握している粟山氏を副社長か専務にすればどうですか」と言いましたが、最終的には2人の意見を尊重しました。その結果、三田村氏に人事の変更を伝えるのは私になりました。
翌24日、品川パシフィックホテルに隣接する高輪プリンスホテル本館にて夕方6時に面談する事になりました。
諸般の事情を説明し、粟山氏が社長に決まった旨を伝えました。そして三田村氏には副会長をお願いしました。しかし話しが終わった後に、その話を頑として拒否されました。何としてもウォーターネットの社長をやりたいという思いは、私の想像以上でした。とうとう最後には「1期だけでもやらせてほしい」との強い口調で私に迫りました。私は心の中で、もしかすれば三田村氏は他人に社長就任の話を既に伝えているのかもしれないと思いました。そこで私は「それでは私の代表取締役会長職を三田村さんがされたらどうですか」と条件を出しました。
私自身、ウォーターネットにおいてはあまり立場を気にしていませんでした。それよりも、とにかく水宅配事業を成功したい、その一心でした。その為には私は副会長でも相談役でもいいと思いましたが「会長職ではなく、社長職でやりたい」と強く否定されました。

この後に驚くような言葉が三田村氏から出ました。

(次回に続く)

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