私が水宅配事業に参入する時「新しい事業に参入し発展させる為には、今までにない新しい人材とネットワークの活用する」方向でやるのか、「新しい事業に参入し発展させる為には、たぶん多くの障害を乗り越えなければならない。その為には今まで共に闘って来た仲間と、新しい分野を切り拓かなければならない」という考えで行くのか。私は前者を選択しましたが、彼らと別れた時点では私の判断は間違っていた事になります。
「与えられた環境の中でベストを尽くす事が最高の生き方だ」と常に思って生きて来ました。
今のこの状況こそが私に与えられた環境です。この状況でどのようにベストを尽くすかです。
事業は一時も止まる訳にはいきません。WNが今置かれている立場の中で、どう精一杯やり遂げるか。社長も抜けた、営業本部長も抜けた、石塚氏・藤本塾長という素晴らしい後ろ盾も抜けた。これがその当時のWNの置かれた環境です。この中でどう将来を描くかという事です。加盟店募集事業説明会を引き続き地道に行なって私達の水宅配事業に賛同する企業を1社でも多く募る事が最大の使命でした。
06年9月10日の日記
「瀬をはやみ 岩にせかるる滝川の わかれても末にあわむとぞ思う」と書きました。
この歌は百人一首の1つです。「川瀬の激しい流れが岩を堰き止められて別れ別れになってもいずれ1つになるように私達は将来きっと再び会おう」という内容です。
私は百人一首等に興味はありません。しかし、この歌だけは知っていました。
私は事業をしながら多くの人と出会いました。社員さんがそうです。お客様もそうです。そして今回のような仕事のパートナーとなる人との出会いもありました。出会いがあれば別れもあります。出会いに喜びを感じ、それが大きい程、別れは同じ様に寂しいものです。
いつかしら、この言葉を知りました。そして別れて寂しい時にいつもこの言葉を思い出します。「いろいろな事情で別れるがいつかまた会おう」という事で自分の心を納得させていたのでしょう。OSGでは辞められた社員さんが職場に遊びに来たり、出入りは自由です。創業以来、今日までその考えは続いています。そして戻って来てくれる社員さんもいます。
これも後年に知った事ですが、この歌は恋の唄らしいです。全く知りませんでした。
更に日記にはこう綴ってあります。
どんな状況に遭遇しようとも、36年間全てボジティブに転換してきた渋とさは持ち合わせている。何年経っても彼ら逢えるように踏ん張ってでもやり遂げて見せる。
追記
さて、その後、彼ら4人はどうしたのでしょう。
その後、彼らは新会社を設立しました。粟山社長・三浦営業本部長の布陣でONE WAY方式のビジネスモデルです。資本金も多く、恐らく石塚氏や藤本塾長のネットワークをフルに活かしたのでしょう。
それから数年後に株式上場をしたという事で、私も正直「わぁ、凄いなぁ」と感心しました。
それから数ヵ月後に粟山社長から連絡があり、いつもの彼のお気に入りの品川駅前の居酒屋で会いました。話を聞くと、ある日「粟山さん、ご苦労様。ある程度の顧客が出来たので粟山さん、社長を辞めてくれますか」との事でした。私は驚きました。「なんということですか」
そしてある大手商社出身のA氏が社長になったとの事です。
それから数年後、そのA氏から連絡がありました。
「実はこの会社を通信系企業に売却したので、Aさん、辞めてくれますか」との事です。
「わぁ、凄いなぁ」と感心しました。
それはそうと、石塚さん達はどうしたのですかの質問に、粟山社長は「石塚は、我々が作った会社を別の企業に売却し、大きな利益を得て辞めた」と吐き捨てるように言いました。
そう言えば、06年7月20日、お馴染みの居酒屋で粟山社長が言った言葉を思い出します。
「石塚らのような人間は、お金で会社を売ったり買ったりしているような人間だ」(第338回)
もしあの時、WNが彼らの増資に同意していたなら、WNは恐らく商品が売買されるような運命を辿っていたでしょう。働く社員さん達と「いつか大きくなろう」「いつか業界のトップを獲ろう」と夢を語り、苦労を共にしながらやる「思い」に価値はないのでしょうか。
そう言えば、その後の石塚氏は相変わらずマスコミに登場します。最近では大手小売業の社長になり、任期短くして会長になり、また任期短くして辞めたとの事です。
藤本塾長はどうしたのでしょう。別れてから数年後、自身が経営していたR社が破産したと、風の噂で聞き、心配していました。恐らく08年に起こったリーマンショックが原因だったのしょう。最近は、時々マスコミに登場され安心しました。ただ彼の話しに昔ほど説得力を感じないのは、たぶん私が年を重ねたからでしょう。
粟山社長のその後は、どうなったのでしょうか。
実は彼とは年に1度、いつもの居酒屋で酒を酌み交わします。「湯川会長だけや、私とこうして会ってくれるのは」と言って、相変わらず「藤本」「石塚」と呼び捨てにして当時の不満を言います。
しかし彼は立派です。今も渋とく、水宅配事業を引き続きしているとの事です。自宅を担保に取られ、聞くところによると奥様とも別れ、それでも水宅配事業を続けているとの事です。そしていつもその横には三浦営業本部長がついていました。
では三浦営業本部長はどうしたのでしょうか。
驚いた事に今年(17年)の春に粟山社長に呼ばれ「三浦君はいつ辞めてくれるのや」と言われて退社したとの事です。「わぁ、凄いなぁ」と感心しました。
いずれにしろ「瀬をはやみ 岩にせかるる滝川の わかれても末にあわむとぞ思う」
は、実現しそうにもないです。
あの日の別れから、それぞれの人生があった訳です。
(次回に続く)
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