1970年に5坪の貸室からスタートした私は、今日まで数々の試練を経験しました。
「辛い」「苦しい」「悩む」といった言葉は数え切れない程ありました。
ただそのような状況に陥っても「逃げたい」「嫌だ」と思った事は一度もありません。
多分「辛い・苦しい・悩む、その先に道が開ける」との思いが常に合ったからでしょう。
それは、体の中に染み込んでいる私の思考回路です。
以前も話したと思いますが、我が家のお正月での話です。
おせち料理を前に新年のお祝いをする時、我が家ではひとりひとり新年の抱負を述べます。
ある年のお正月。私は家族に向かって「今年も厳しい年になるが・・・」と言った時に「お父さんは毎年今年も厳しい年になる。そういう言葉を抜きに話しなさい」と指摘されました。
決して「厳しい年だ」はネガティブなつもりで言っている訳ではありません。しかしお正月早々、家族がそういう言葉を聞かされて気分を害しているとは思ってもいませんでしたので、それ以降そのような言葉はNGとして使っていません。
しかし私の心の中では毎年そのような気持ちになるのも体の中に染み込んでいるのでしょう。
金なし、物なし、信用なし、人脈なしの23歳で会社を興した私は翌日から「辛い」「苦しい」「悩む」は途切れる事なく連続で襲ってきました。
もし仮に「どの時代の辛さが一番キツかったですか」と「辛さの第1位」を質問されたならば、「その時、その時の辛さが第1位」が回答です。
創業時から見れば、06年当時は資金や信用、人脈も比較にならない程ですが、その分だけ与える影響も大きく責任も更に大きく感じる訳です。
06年の年はまさにその時においては「辛さの第1位」は「責任」に対してでした。
02年2月にグローバル化と事業領域の拡大を宣言し、企業の成長エンジンにしたつもりでした。そのグローバル化の代表としての中国事業の進出。ところがその中国事業は衛生部ショックにより停滞し、業績も下落しました。
事業領域の拡大の代表は水宅配事業への参入です。その水宅配事業のスタートでの躓きが実績に悪影響を与えました。更に本業においても、それに同調するかのように実績の低下が起こりました。当然の事ながら株価にも大きな影響を与えました。特に株価が下がる事に対して多くの株主様にご迷惑をかける事の辛さは「自分だけが我慢をする」という従来の辛さとは違い、早くこの悪路から脱却しなければならないと思いました。
当時はライブドア事件等で株式市場に逆風が吹いていると言われていましたが、しかし今回もたらした事は外的要因ではなく自ら招いた逆風です。こんな時こそ「人生はプラス思考で歩きましょう!」を実践しなければならないのです。そうしなければ私自身のアイデンティティーの問題になる訳です。
「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」のことわざではありませんが、失敗に懲りて必要以上に用心をする事により、挑戦する気持ちがなくなれば、元も子もなくなる訳です。
全てが教材です。逆境こそ挑戦する価値があるのです。幸い私にはこのような状況にあった時に「嫌だ」「逃げたい」という気持ちはありません。自分の中にない限り、この逆境を乗り越える事が今回の教材です。これからも「その時の辛さが第1位」は途切れる事なく、私を襲ってくるでしょうが、逆風の中でも挑戦し続ける事の大事さを、この年齢でまた学びました。
(次回に続く)
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