代表取締役 湯川 剛

07年2月1日の日付が変わろうとした0時前に専務から連絡が入りました。
「社長、溝端部長に決まりました」

あの11月の役員会議で私に〝噛み付いた〟38歳の部長です。役員で最年少です。
翌日の2月2日の役員会議には、新社長就任の議題は出ません。
この日の役員会議で印象に残っているのは、平成元年 (1989年) に入社してくれた国富君の事です。その当時、彼は業務部の課長として頑張ってくれていましたが、末期ガンで闘病生活をしていました。日頃の頑張りを評価し「国富君を購買部 部長職に任命」が議題でした。
後日、病室で辞令交付しました。ベッドの上に正座した彼が、神妙な面持ちで辞令証書を受け取った姿を今でも覚えています。「早く良くなって購買部の部長職として頑張って欲しい」と勇気付け、本人も1日も早く復帰したいと笑顔で応えてくれました。同年6月に亡くなりました。

新社長の選出は決算説明会を2日後に控えた3月26日の臨時役員会議にて決議されました。
決議後に全役員を改めて別室に呼び、新社長を目の前にして、次のような話をしました。
「ご存知のように2月1日の夜、役員の皆さんが投票した結果、溝端社長が選ばれました。
よってみんなには選んだ責任がある。支えなければならない責任もある」とまずは伝えました。「みんなで選んだ」の部分が非常に重要でした。これが、私が指名した新社長だとなると、役員の受け止め方が違ってきます。まぁ、ここまでは大体、通常の挨拶です。
そのあとの私の話す内容に少なからず、役員には衝撃が走ったと思います。

その前に、私の新社長の選び方は、他社にはあまり強くお勧めする事はできません。
何よりリスクが高い方法だと思います。もし票が割れた場合にはどうするのか。
また、私の判断とは別に、異なった要素で選ばれる可能性もあります。例えば、役員同士の人間関係だけで判断される場合もあります。勿論、人間関係を重視する事は重要な事ですが、組織全体を引っ張って行く事とは何の関係もありません。

私は経営をバトンタッチする会社の事例を多く見てきました。はっきり言ってバトンタッチのミスで会社を倒産に追い込んだ事例もありました。
「社長」という立場にいろいろな人が寄ってきます。ヨイショする人も多くなります。いろんな誘惑もあります。それに舞い上がってしまう人も私の近くにも多くいます。「社長」という響きが魅了的なのでしょか。また表立って社長自身に指摘する人はいなくなります。これが恐ろしいのです。社長崩壊の第一歩です。

バトンタッチには世襲制であれ、親族以外の人であれ、トップに立つという事はそれなりの器量も度量も必要ですが、何よりも責任感と情熱と独創性というものがなければ成功しません。
トップの後ろにつき、トップがする事と全く同じ様に行動していれば、ある程度の立場は得られます。しかし、独創性を備えた人物でなかった場合、こういう人物はトップのそばにいる間はいいのですが、トップがいなくなった時に問題が起こります。
またそういう人が独り立ちする時も危険です。
いずれにしても「経営を引き継ぐ」という大事業を私の中の大きな仕事でした。しかも私が他人に勧めないやり方を選んだ訳です。
そこには「運を賭けて」大きな仕事に取り組んだ訳です。

さて、話を戻します。
私が新社長を前にして新社長を選んだ全役員に向かって言った言葉に少なからず衝撃が走った話とは・・・。


(次回に続く)

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