代表取締役 湯川 剛

07年4月7日、OSGの幹部・管理職の人達が、大阪帝国ホテルで私の還暦祝いと溝端新社長誕生のパーティーを開催してくれました。
1月15日が誕生日である私の還暦祝いは、かなり賞味期限切れではありましたが、実にOSGらしいお祝いでした。
一般的に還暦祝いと言えば、赤いちゃんちゃんこに頭巾・扇子・栞の4点セットがお祝いのイメージでしょうが、私の場合、扇子の代わりに赤いボクシンググローブを貰いました。「まだ闘え!!」という事です。記念写真はもちろん、赤いちゃんちゃんこと頭巾にグローブをはめてのファイティングポーズでした。

参加者から「湯川会長、還暦になった感想はどんな感じですか」の質問に、私は「初めての経験でドキドキや」と応えました。60歳からの挑戦が始まる訳です。
新社長に迷惑をかけないように、そして新事業がOSGの未来事業を担っている事に改めて新たなファイトが出てきました。マジ、ドキドキや!

その日から半月を過ぎた頃に私は、総務部長から大変な事を聞かされました。それは3日後に控える株主総会についてです。決算説明会での説明は従来通り私が行ないました。代表取締役会長だからではなく、前期が厳しい決算内容であったので、溝端新社長にはさせられないとの思いがあったからです。当然の事ながら4月26日の株主総会の議長も私が行なう予定でした。
ところが総務部から「湯川会長は株主総会の議長は行なえない」旨を聞かされました。

私は大きな声で「どうしてだ。私の社長時代での業績は私がやるべきであるし、ましてや厳しい内容であれば尚の事」と問い質しましたが、総務部長は「我社の定款がそのようになっているのです」と応えました。「会長職」が想定されずに定款が作られ、そしてそれに気づかないままであった事が原因です。定款によって株主総会の議長は「社長」と決まっているという事でした。

こんな厳しい結果での株主総会を社長に任せられるはずがない。
「オレがやる!」と主張しても「定款」で決められている以上、それを曲げる事は出来ないという結論に至りました。
私は心配と申し訳ない気持ちが入り混じりながら「出来ますか」と新社長に問いました。
すると3秒程沈黙後、新社長は「私がやります」と応えました。定款でどうする事も出来ない事がわかっていても「大丈夫か」と代れるものなら、私が出来ないものかと思いました。

その一方で毅然と「私がやります」と応えた39歳の溝端新社長の姿に、例え話は適切ではありませんが、いつまでも子供だと思っていた息子が急に大人びた場面を見た気がしました。 ズバリ、頼もしい。

株主総会前日の夕方5時から行なわれたリハーサルでは、議長席の溝端社長が不慣れながら一生懸命に進行の予行演習をしていました。私はその傍らでただただ「申し訳ない」という気持ちでいっぱいでした。もし株主様から業績追及があった場合、立ち上がって私が株主様の追及を受けようと考えましたが、ご指導頂いている信託銀行の方から「全て溝端社長にお任せしましょう。もし株主様から会長に質問があった場合には応えて下さい」と言われました。

さて、株主総会当日がやってきました。自分が議長時代の時より緊張した朝を迎えました。
結果的に、この年の株主総会は従来と比較にならない程、株主様から質問が寄せられました。
私の議長時代には、殆ど質問はありませんでした。前期の実績の内容だけでなく、多岐に渡っての質問がありました。それを見事にこなしている溝端社長に感動し、同時に如何に私の議長時代は質問させる雰囲気がなかったのかと、反省させられた次第です。

追記
この年の株主総会から以降、OSGの株主総会では株主様から活発な意見があり、また多くの教えやアイディアを頂きました。


(次回に続く)

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