代表取締役 湯川 剛

決算説明会と株主総会も無事終わり、新年度に向かっていよいよ溝端新体制が動き出しました。溝端社長は営業本部長を兼任し、全国の営業所や取引先を回っていました。私は水宅配ビジネスと中国ビジネスに特化した動きをしました。そんな二人は殆ど会う事はありませんが、二人のスケジュールを調整して銀行・証券会社等へ新社長就任の挨拶を私と廻っていました。

私は「溝端新社長は数字が強く頼もしい」等、株主総会での急に決まった議長での話し等、多少、新社長自慢をしながら挨拶廻りをしていました。ふと「新社長が実子なら出来ないな」と思いました。こうして社長へのバトンタッチをしている中で一つのエピソードがあります。

二人で車に乗り、次と次と挨拶廻りしていた時です。
東京駅周辺にある大手証券会社へ挨拶に行った時の事です。
担当部長が出てこられて「湯川会長、待っていました。実は会長と話したい事がありますので・・・」と溝端新社長は席を外して欲しいとの事です。私は「いやいや、もう何でも包み隠さず話して下さい。社長に対しては、私はそのようなスタンスで行なっていますので」と言っても、同席は出来ないとの事でした。溝端社長も気まずくなり「私は車の中で待っています」と言って席を立ちました。

私は改めて別の部屋に通されました。
そこで役員も入室されて「今日は湯川会長に大きな決断をして貰いたいのです」との話しでした。口頭で「この話は外部には一切流さないようにお願いしたい話しです」との事です。
私は溝端社長を退席させてまでの話なので「重要な話」が何なのか、僅かな時間でしたが思考回路を巡らせていましたがさっぱり分かりませんでした。
役員が「大変失礼ですが、湯川会長が持っている株式を某会社が全株式を購入したい」との事です。私は「はぁ?」と質問の意味がピンッと来ませんでした。

説明によると前期の実績により株価が下落している、言わば購入しやすい金額である。数社ほどの問い合わせがあったが過半数を私や役員、更に社員持ち株会が持っていて諦めていたとの説明でした。ところがある大手企業が私個人の株を購入したい。すなわちOSGを購入したいという事です。私はその企業の名前を確認したいと言ったところ、当初は売却する意志が明確になるまでは言えないとの事でした。誰に購入して貰うのかも分からないのに、無闇に返答は出来ないという事で渋々言ってくれました。とても素晴らしい会社でした。そして提示された金額も当時の株価にかなりのプレミアムをつけての提示でした。

私は沈黙していました。証券会社の幹部は「新社長も誕生され、長い間働いて来られ、ここらで大切な人生の別の生き方を模索されてもどうでしょう。聞くところによるとゴルフもされないし、殆どが働き通しだと聞いています。そういう意味では今回のお話しを特別退職金のような位置付けにして考えてみられたらどうでしょうか。第三者の私が見ても、かなり評価が高いと思います。どうでしょうか。会長も今日までよくやって来られました。ここらでゆっくりされたらどうでしょう」と一方的に話していました。
少し沈黙の時間が応接室に流れました。私は「ありがとうございます。分かりました」と応えましたので相手側の役員や部長はパッと顔を明るくされ、そうですかと言いました。

そこで私は「こんな立派な会社に、こんな高い評価をして頂いてありがとうございます。でも私はまだまだやらなきゃならない事があります。提示して頂いた金額の10分の1でも私は十二分な生活が出来ます。金銭的には何の問題もありません。むしろこんな立派な会社を預っているのだという気持ちを先程からひしひしと感じて感動しています。ありがとうございました」と言って席を立ちました。

ビルの下に駐車していた車に乗り込みました。溝端社長は「どんな話だったのですか」と言ったので、内容を伏せて「OSGは凄い会社やという事や」と言って次のアポに向かいました。
私の心の中は評価された事の喜びよりも「上場会社とは、上場した瞬間から他社から買収される運命にあるのだな」と更に気を引き締めました。

それから1年、新社長体制の1年が過ぎました。
見事なV字回復で、株価も久しぶりに上向きをしました。

この「幻の株式購入案件」は後日、役員達に話しましたが購入先は約束通り、一切明かしていません。むしろ、この話は「上場企業の運命」の事例として、役員に話します。

さて時々、自ら創業した会社を売却する経営者がいます。いろいろな事情があっての事でしょう。よって一概に評論する事は出来ませんが、しかし中には創業者自身の利益を得るために株式を売却する事例も見ています。「社長、あなたは株式を売却したのではなく、共に闘って来た社員さんを売り飛ばしたのと同じですよ。そして手放したのは会社だけでなく、それまでの思い出まで手放したのです」と言いたいです。

追記
人プラは掲載してから10年以上になりますが、1つの題材(社長交代)に関して、これ程長く掲載したのは初めてだと思います。昨年12月20日掲載(第346回)から本日の6月10日掲載(第363回)の約半年にわたって掲載しました。

さて、次回からは中国ビジネスと水宅配ビジネスに話を戻したいと思います。


(次回に続く)

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