07年11月18日 日曜日、17時にJAFS理事交流会に出席しました。久しぶりの出席です。その日は社内カップルの結婚式に出席し、その後にJAFS創立30周年の理事会に駆けつけました。理事会後に専務理事から「この6月にPHP研究所から出版された本です。亡くなった横井会長が出て来ますよ」と「マロンパティの精水-いのちの水の物語」(著者:小嶋忠良)という題名の本を受け取りました。
私は翌日、18時発の東京行き新幹線に乗り込み、早速「マロンパティの精水」を開きました。
ぺージを開くとプロローグとして
パンダン。おそらく日本のNGO活動史に残るであろうこのフィリピンの片田舎の名前を思うたびに、胸の奥底が熱く痛くなってくる。20世紀も終わりに近づいた1999年4月、多くの障害を乗り越え、まる9年を費やした水道建設工事が、日比両国のボランティアたちの献身によって、この地で見事に完成したと書かれていました。
すべては1本の電話から始まった
1990年8月、アジア協会アジア友の会(略称JAFS)事務局長・村上公彦のもとへ電話がかかってきた。朝からジリジリと真夏の太陽が照りつづける暑い日だった。
「モシモシ、アジアキョウカイデスカ?ワタシハ、”アマンテ”トモウシマス」
外国人特有のたどたどしさは多少あるものの、流暢な、よく分かる日本語だった。
「ジツハ、ワタシノマチニ、イドヲホッテホシイノデス」
電話の主はマラグタス・アマンテ。慶應義塾大学の大学院生だという。
「どういうことですか?もう少し詳しくお話を聞かないと、なんとも返事のしようが・・・」
英会話には困らない村上だが、相手が上手な日本語なので、それに合わせた。
アジア協会はこれまで、途上国に多くの井戸を提供してきた。「乾くアジアと世界に水を!」が合言葉だった。フィリピンでもルソン島で200以上の井戸を掘ってきた。
「私は、フィリピンのパンダンから来ました。私の町は海辺にあって飲み水に塩分が混じって・・・」
アマンテは説明をしかけたが、今ひとつ事情がよく分からない。電話で済むような話でもなさそうである。ともかく、もっとよく説明を聞きたい、そう言って村上は電話を切った
私は、食い入るように読みました。登場人物はフィクション小説とは違って、私が身近に知っている人達が実名で書かれてあり、更に引き込まれました。この本の中にも書かれてあった通り、単に井戸を提供する物語であれば、これまでにフィリピンのルソン島でも200基以上の井戸を掘ってきた訳です。勿論そこにはひとつひとつの井戸にドラマがあり、人間の感情がありました。私自身もJAFSに井戸を20基以上寄贈し、2001年から2010年まで毎年小学校を寄贈していました。
さて本に戻ります。
この話は「その村では井戸は掘れない。理由はどこを掘っても塩分が混じった水が出てくる」という事で、井戸を掘っても留学生アマンテさんの要望に応えられない訳です。
当時のJAFSの会長は2代目で横井会長でした。横井会長はこの「人プラ」の第99回:横井顧問との出会い(2009年2月1日掲載)に登場しています。本の内容をここで詳細に説明する事は出来ませんが、「井戸発掘断念」の中で横井会長は何としてでもこの村に安全な水を提供しようと強い決意で挑まれました。
JAFSには井戸を掘る為の予算や規則があり、この提案には幾つもの難関がありました。
しかし横井会長は資金集めを自らされ、不足な部分は自分の生命保険で対応して欲しいとまで望まれた事が本の中で出てきます。何故そこまで横井会長がこだわるのか。それにはあの忌まわしい戦争が関係しています。さて話は戦前に遡ります。
1941年12月8日未明、日本海軍は真珠湾を攻撃し太平洋戦争へと突入して行った。
その同じ日、日本軍はフィリピン各地の基地を爆撃した。(略)
パンダンに初めて日本兵が現れたのは1942年前半のころといわれる。(略)
この戦争による日本側の死者は、軍人、民間人合わせて51万8000人。主要戦域別に見て、最も日本人犠牲者の多かったのがフィリピンである。しかしフィリピン側はその2倍以上、110万人に上る死者を出した。
3年半に及ぶ地獄のような戦争は、こうしてあまりにも大きすぎる犠牲を払い、人々の心に拭いがたい恨みを残して終わったのである
(「戦争が破壊した日比友好」より抜粋)
と、本には記されていました。
ここで何故、横井会長がパンダンに何としても安全な水を提供しなければいけないのかが、書かれてありました。
どうしても井戸では海水が混じる為、それ以外に対応策はないか、横井会長を中心にJAFSスタッフはあらゆる方向から検討しました。そして水道事業にまでに膨れ上がった構想には幾多の障害が待ち受けているのです。戦時中、被害を受けた村の人たちの感情もあります。予算が莫大に膨れ上がった事もあります。先ほど述べた「私の生命保険を使ってでもいいので、何とか実現したい」という横井会長の事を思いながら、私はふとある場面がよみがえり、次のページに進むまで多少の時間が必要でした。
(次回に続く)
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