2008年8月8日8時8分8秒、北京オリンピック開幕。
日本とは1時間の時差があり、私は9時に川越のビジネスホテルで北京オリンピックの開会式のテレビ中継を見ていました。「アルカリの水は間に合わなかったか、残念だ」と思いながら、開会セレモニーを見ていました。
8月16日。私は関空から青島に飛びました。この日から7日間は山東省の代理店を廻っていました。代理店社長の話題は、北京オリンピックの競技実績についてです。私は「北京オリンピック出場の選手の感動の涙と汗は、全てOSGの水で出来ている」と喉下まで出ていましたが、結果的にどうなるかわかりませんので我慢していました。もし国家体育局にアルカリイオン整水器の導入が出来なかった場合、それは逆効果になる事は目に見えていました。
「我慢、我慢」と思いながら、気持ちの上では必ず実現させたいと思っていました。
私はこの当時、各地域の代理店のお客様宅訪問をしていました。当然、OSG製品を使用して頂いているお客様訪問です。日本ではしていない企画でしたが、衛生部ショックからの立ち直りの為には考えられる全ての事をしていました。こんな時は「原点が大事」との発想からお客様訪問をやろうと私から言い出しました。多くの代理店を訪問するのですが、午前中はその地域のお客様大会に参加し、午後に次の地域代理店に移動します。大体、夕方に到着し、お客様宅訪問をします。逆に訪問を受ける側のお客様も大変だったと思います。後から聞く話では、そのお客様の家具一式を新しく取り替えたとの話も聞きました。
またあるお客様宅では初めての日本人訪問なので、親戚一同30人以上で迎えて頂いた事もあります。いずれのお客様も大変歓迎して頂いた事だけは間違いありません。
各代理店の社長から「湯川会長がお客様訪問する場合、どのような接待すればいいのか」との問い合わせに、私は「お客様宅で餃子の作り方を教えて欲しい。その餃子も食べます」。この「餃子作り訪問」は各代理店統一なので、それぞれの社長も安心していました。
そんな訳で08年当時の中国出張の場合、14日間連続で餃子を食べていました。もちろんこの企画は大好評でした。お客様からの声では「気さくな会長さんだ」との評判だったらしいです。
このような事もありました。
大連の代理店を訪問した時、お客様訪問を3軒した事もあります。すなわち夕食を3回行なったという事です。代理店側からすれば、大事なお客様を1軒絞り込むのは難しいと、結果的に3軒のお客様宅を訪問になった訳です。私も「了解しました」と夕食3回に挑みました。
1軒目が17時から始まり、19時、21時となる訳です。当然、餃子を頂きます。
好評の要因は、私がお客様の指導で餃子作りをする事です。お客様は大変喜んで教えてくれます。不慣れな私も何十回もやれば少しは上手くなりますが、それでもお客様には「初めてですが、教えて下さい」と言って指導を受けます。でも何度もしていますので、中にはお客様も「会長さん、初めてなのになかなか上手です。最初からそう上手くはいかないですよ」と褒めてくれます。餃子にも中の具によって種類が多くあります。またそれぞれのやり方も違います。
またお客様の中には踊りや詩吟が得意との事で、見て帰れ聞いて帰れとなります。私は次の訪問があっても無碍に断る事は出来ません。是非見せて下さいとなります。その時、1日に数軒訪問を予定している代理店の社長は慌てます。いずれにしろ、言葉が通じない中でお客様との餃子作り教室は、大成功でした。
そんな数多くのお客様訪問の中で忘れられない出来事がありました。
8月20日のこの日は、午前中に山東省竜口代理店のお客様大会に参加。その後、同じく山東省内にある威海代理店を訪問。威海代理店のお客様訪問は元人民解放軍司令官の自宅でした。
70歳のお元気な元人民解放軍の司令官です。代理店社長によると10台以上も欧愛水基製品をご紹介頂いたとの事です。ちなみに中国のお客様は日本とは比較にならない位に紹介件数が多いです。代理店では、そのような現象を「お客様の社員化」と呼んでいます。中には50台以上紹介して頂いたお客様も知っています。
さて元人民解放軍の司令官のお話をします。
日本では考えられないような立派なマンションに住んでいました。もちろん台所には欧愛水基の製品が取り付けられていました。餃子作りからいよいよその餃子を頂くのですが、元司令官は「白酒で乾杯だ」と「白酒攻め」に合いました。私も10台以上紹介して頂いている大事なお客様なので断る事もなく、杯を重ねていました。最後には元司令官と私は、肩を組んで呑んでいました。元司令官は家族の方に「俺が日本人とこうして肩を組んで白酒を呑んでいるなんて信じられない」と満面の笑みでした。私も嬉しくなり「お土産はありませんが、お土産代わりにこれをプレゼントします」と腕時計を手渡しました。元司令官は「オメガか?これはオメガではない。日本のセイコーだ。時計はやはりオメガでないとダメだ」に対して、私は「私は日本人なので日本の最高の時計はセイコーだ。オメガなんて田舎モノのする事だ」と2人は笑いながら白酒を重ねていました。横で威海代理店の劉社長はニコニコ笑っていました。
さて帰る時間になりました。私はかなり酔っていました。2人共ご機嫌です。言葉も通じないのに、ただ肩を組んで笑っているだけです。マンションの広大な敷地の玄関まで、元司令官は送ってくれました。迎えのタクシーに乗る時に「忘れ物だよ」と言って腕時計を私に渡しました。私は「それは私からのプレゼントだから受け取れない」「イヤ、持って帰りなさい」とまたタクシーの前でやり取りをしましたが飛行機の時間もあるので私はその時計を街路樹の枝にかけました。そしてタクシーに乗り込みました。元司令官は大笑いして、何か中国語で話していました。
08年当時の話です。それから4年が過ぎた12年に尖閣諸島問題が日中両国に暗雲が立ち込めるとは思ってもいません。あの元司令官はお元気でしょうか。80歳になられたと思います。
追記
その当時の話しです。腕時計がなくなったので、帰国の際に空港の免税店で時計を探しました。当然、オメガです。いつかまた誰かにプレゼントする可能性があるので、あまり高価でないオメガを探しました。
ちなみに威海代理店の劉社長はこの出来事を全国の代理店に伝えました。
「湯川会長は面白い人だ。中国人のハートをよく掴んでいる」と言ってくれたらしいです。
では10年後の2018年9月現在の話です。
私の腕に腕時計はありません。先日、中国の若い経営者に渡しました。当然、オメガです。(笑)
(次回に続く)
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