代表取締役 湯川 剛

中国ビジネスの事を掲載した直近の回は、第376回(2018.10.20掲載)です。半年も前の事でかなりの時間が経過していますので、中国ビジネスについて簡単に振り返ってみます。

株式上場後、初の新事業年度初日に当たる02年2月1日に「事業領域の拡大とグローバル化」を宣言。創立来、家庭用浄水器事業とメンテナンス事業を車の両輪で突っ走って来ましたが、OSGの今後を見据え、持続可能な経営をする為に「事業領域の拡大とグローバル化」を企業方針として中長期計画に掲げました。
事業領域の拡大・多様化として、自販機や空港などに設置されるプレッシャーウォーター機器等を矢継ぎ早に開発し販売。しかし何と言っても事業領域の拡大の代表格は、水宅配ビジネス参入でした。同じようにグローバル化の代表格が中国進出で、この2つの成功こそがOSG未来ビジネスに繋がると信じ、ひたすら邁進しました。

初めての海外法人を中国に設立。これらの経過は第266回あたりに説明しています。
03年秋に中国進出。多少の紆余曲折はありましたが、順調なスタートでした。このままいけば中国に投資した資金は2~3年で回収する勢いでした。ところが好事魔多し。
中国進出3年目の05年7月に遭遇した「第2次中国衛生部ショック」。これらの経過も第297回あたりに説明しています。その大打撃をプラスに転換すべく東奔西走。
中国衛生部・中国保健協会などを日本に招聘。管轄行政である厚生省の協力も仰いで、日中水関連法律規正学術シンポジウムや日中功能水シンポジウムを開催し、また電解整水器標準規格制定と実績を積み重ねました。
そういった地道な活動が実を結び、「第2次衛生部ショック」発生から3年が過ぎた08年11月。多くの中国企業が羨望する中国国家体育局訓練局にOSG製品導入が決定。
同年8月の北京オリンピック開催に間に合わなかった事は残念でしたが「選手達の感動の涙と汗は、全てOSGの水で出来ている」「物質的に獲得する前に精神的に獲得せよ」と念じた執念がもたらした吉報でした。また私と「兄弟」と呼び合い、OSGを中国に輸入するきっかけを作った天然社の金鋭董事長が衛生部ショックの影響により天然社を退社。
ここまでが前回までのお話でした。

さて、この後の展開です。
実質的に金鋭董事長が作り上げた香港上場会社 天然社と中国全土に広がる天然社の約300社の代理店ネットワーク。「衛生部ショック」により天然社の売上が大打撃を受け、大口株主との軋轢等から金鋭董事長自身が持つ株式全てを売却し、退社。
ところが退社した金鋭氏自身が、この天然社のネットワークを混乱させる事になります。
代理店約300社の経営者全員、かつては天然社の社員であり金鋭氏の部下でした。
300社の経営者達は自分が経営者になれたのは金鋭氏のお陰だと恩を感じ、また天然社を香港上場企業に育成した経営手腕の持ち主として金鋭氏に対し尊敬の念を抱いています。
金鋭氏は天然社を離れた後、天然社と競合する商品を取り扱う会社を設立。そしてかつての部下である300社の経営者達に対し、商品の卸業者として新たな取引を迫りました。
そんなやり取りが中国各地で繰り広げられ、金鋭氏個人に恩義を感じる親金鋭派の経営者とあくまでも従来通り天然社との取引を守ろうと金鋭氏の行動に批判的な反金鋭派の経営者が生まれる事態になりました。

欧愛水基(OSG中国法人)は、このような状況の中でどのように運営していくのか。
金鋭氏がいたからこそ、300社のネットワークによって製品が中国全土に広がった訳です。ただ衛生部ショックをきっかけに、従来のように300社全社が製品販売に力を入れる事がなくなり、その上300社のネットワークを構築した金鋭氏自身がかつての部下達を混乱させる元凶となっているのです。まさに経済小説のネタになるような事態になっていました。

さて、衛生部ショックはまだ尾を引くのか。また北京オリンピック直後の国家体育局にOSG製品が導入された事により起死回生となるのか。さらに天然社を離脱した金鋭氏の行動によって、親金鋭派と反金鋭派に二分された天然社ネットワークへの影響。
そんな状況下、欧愛水基がどう舵取りをするのかが次回からのお話です。

(次回に続く)

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