代表取締役 湯川 剛

07年春、金鋭氏は天然社を退社。日本同様に中国においても、上場会社に主たる立場で在籍した者は一定期間、同種の職に就いてはいけない競業避止義務に伴い、金鋭氏は半民半官の中国保健協会 中国効能水分科会の会長に就任しました。二度と「衛生部ショック」が起こらないようにと、まずは業界基準作りに奔走していました。しかし元来の事業家の性分がそれでは満足し得なかったのか、09年の初め頃、金鋭氏は新たに会社を興しました。

金鋭氏がかつて構築した中国全土に広がる天然社の代理店の社名は地域名と天然という名称を付けています。例えば、北京代理店の場合は北京天然とか天津天然という感じです。特に地方では「天然」という名前は浸透していて、何と言ってもそこは香港上場会社。その屋号が信用につながり、顧客の購買意識につながっている訳です。欧愛水基も製品には欧愛水基の社名も掲載され「OSG」のロゴもありますが、「天然」のダブルロゴがついていて、顧客はOSG製品を購入したというより天然の製品を購入している意識が高いのです。
天然社は元々「自然素材」が売りで、主に布団等の寝具用品販売で上場した会社です。中国の経済発展により国民の生活様式が改善され、寝具等も大きな変革の波が起こり、それに乗じて天然社は発展。更にその上の売上を目指す為に、夏場に強い製品としてアルカリイオン整水器を取り扱ったという話は以前にもお話ししました。ただ、アルカリイオン整水器が中国製の為、大量の不具合を発生させたので日本製品に着眼したという事がOSGとの出会いであったという事もお話ししました。

さて、金鋭氏が興した会社は天然社と全く同じ製品を扱う会社でした。競業避止義務規制により自らは董事長に就かず、形式上、自身のブレーンを董事長に就任させ、建前と本音を使い分けました。しかし周囲の誰もが実質的経営者は金鋭氏だと認識していました。そして自ら構築した中国全土に広がる天然社の代理店300社に自身が出向きます。
金鋭氏に育てられた各代理店の経営者達は来社を歓迎する一方、商談には困惑状態でした。
「天然社の布団ではなく、我社の布団を販売して欲しい」
顧客に信用される天然社ブランドを蔑ろにして、急にブランドを変えて金鋭氏の商品を販売する事に多くの経営者は抵抗がありました。
金鋭氏の行動は商道徳的に問題があったとしても、競合店の売り込みはビジネスの世界では日常茶飯事です。通常であれば代理店側も「二者購買の原則」として価格と品質を見て検討し結論を出せばいいので、取引する事も断ることも出来ます。しかし相手が自分を育ててくれた金鋭氏なので、普通の売り込みとは異なります。
代理店の経営者は顧客の事も考えます。長年「天然社が一番良い」とし、屋号も「天然」とついてある訳です。日本的に例えると、パナソニックショップの看板を上げて、他のブランド品を推奨販売するようなものです。

世界で米国に次ぐ第2位の経済大国となった中国。日本人は中国人をどのようにみているか分かりませんが、私は15年以上中国人と付き合っていますが、お金で割り切る中国人もいれば、「三国志」に出てくるような恩義や義理を大切にする中国人も多くいます。
「恩義か、ビジネスか」で困惑する経営者達は、金鋭氏から見ればかつての部下です。
そんなかつての部下達に対して金鋭氏が放つ言葉が引き金となって「反金鋭派」に生まれました。
さて、金鋭氏が放った言葉とは・・・。

【後記】
令和元年5月10日に第396回の掲載です。
本来、前回の第395回は令和元年5月1日ですが、大型連休のために平成最後の月である平成31年4月27日に更新しました。よって令和になって初めての「人プラ(略 人生はプラス思考で歩きましょう!)」です。

上皇陛下が退位された4月30日は「平成」の30年間を振り返る番組が多くありました。改めて多くの出来事があったのだと振り返りました。
OSGも昭和45年設立から来年で創立50年を迎えます。これで昭和・平成・令和と3時代を経験する訳です。「光陰矢の如し」は言葉以上の含みがあります。

さて皆さんは平成最後の晩餐は何を食べましたか。
私もいつかは「平成最後の晩餐」を語れるようにしたいのですが、年々物忘れがひどくなる事をまずは自覚し (^_^) 出来るだけ思い出させるものを選びました。
私の「平成最後の晩餐」は水にこだわる高級食パン「銀座に志かわ」とレトルトカレーにカレールーをブレンドして濃厚カレーと一緒に頂きました。おいしかったです。

では皆さんは「令和元年に初めて食べたもの」は何を食べましたか。
私の場合、昨夜購入した水にこだわる高級食パン「銀座に志かわ」と味噌汁を頂きました。食パンはそのまま何もつけず頂きます。ほんのり甘い味と何とも言えない食感。

最後です。「令和元年の最初の夕食」は何を食べましたか。
私の場合、平成最後の晩餐で1本2斤の残り3分の1を楽しみに残しておいた水にこだわる高級食パン「銀座に志かわ」です。やはりレトルトカレーにカレールーをブレンドして濃厚カレーと一緒に頂きました。めちゃめちゃおいしかったです。おススメです。

これなら少々物忘れがひどくなっても、この献立は忘れないと思います。また周りの人も覚えやすいので私にボケが生じても伝えてくれるでしょう。

ちなみに「湯川さんは〝銀座に志かわ〟と関係があるのですか」と質問があれば「はい。あります。いつかこの〝人プラ〟に登場します」が回答です。
それにしても、この〝人プラ〟は10年程前の出来事を掲載していますので、それを考慮すると〝銀座に志かわ〟が登場するのは令和10年頃になります。それは少し時間がかかり過ぎです。よって令和に入り〝人プラ〟はもう少しスピードを上げて掲載していくようにします。令和5年頃に〝銀座に志かわ〟の誕生をお話ししたいと思います。

令和新時代になりましたが、これからも〝人プラ〟をよろしくお願い致します。

令和の時代も「人生はプラス思考で歩いていくぞ!!」

(次回に続く)

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