金鋭は、自身が親しくしている弁護士を私に紹介してくれました。それが劉弁護士です。
彼はOSGが設立された同じ年の1970年4月29日生まれとの事で、当時39歳。
精悍な顔つきと誠意ある人柄に私は「この人に賭けてみよう」と決めました。
事情を説明し「売掛金を回収したい」と言ったところ、劉弁護士は「その裁判を起こすには、その金額と同等の資産を裁判所に預けなければならない」との回答でした。
裁判を起こす為、同額の資金を裁判所に預けるにあたり私は万が一のリスクを考え、欧愛水基の資金は使用せず、私が個人保証として準備する事にしました。とはいえ私自身、中国国内にそんな資金は当然ありません。それに海外へ持ち出すお金にも限度があり、法令順守の中でやらなくてはなりません。そこで私は欧愛水基の幹部はじめ中国駐在の日本人や中国の友人らに事情を説明し、現金をかき集めました。
裁判が始まり、どうしても私の頭から払拭されない事柄がありました。
「中国では裁判長の自宅等に直接弁護士が訪ね、判決を有利に交渉する事で決まる」という例のA事務所の話です。日本では到底考えられない事ですが、中国は法治国家ではなく人治国家と言われ有り得る話です。A事務所の話を知らなければこんな心配をする事はなかったのでしょうが、知ってしまったばかりに「レアなケースだ」と否定しながらも訴訟期間中、常に私の意識の中にありました。
その影響か、何度か劉弁護士との打ち合わせをする中でも、もしかすると天然社が劉弁護士に裏工作をしているのではないかと、事もあろうに劉弁護士に対して僅かながらも猜疑心がなかった訳ではありません。「この人に賭けてみよう」と決めたにも関わらずです。
そこで私は思い切って劉弁護士に質問をしました。
「実は上海で聞いた話なのですが、中国では裁判長のところに直接お願いに行くと聞いたが、そんな事はあるのですか」と尋ねると彼は「ない訳ではない」と答えました。
それではと次に「劉弁護士に対して圧力や甘い言葉は・・・?」との質問にも「ある」と答えました。「君は中国人弁護士なのに、何故日本企業に肩入れするのか」という圧力が事実あったとの事です。そこで私は劉弁護士に「それでどのようになったのか」と尋ねると、彼は笑って「私には関係のない話です」と言いました。異国の地で裁判をしているという心細さがあったといえ、一瞬でも劉弁護士を疑った気持ちを持った事を心から申し訳ないと大いに恥ました。
訴訟を起こして1年以上が過ぎた2010年7月、劉弁護士から連絡が入りました。
「天然本社の銀行口座を凍結しました」
この瞬間、欧愛水基は勝訴しました。同時に天然社との7年の歴史に幕が下ろされました。
03年春。当時の天然社 金鋭董事長が来日し、ここからOSGとの出会いが始まりました。同年秋に私と金鋭董事長が上海で初めて面談。その時「兄弟」と呼び合った訳です。
日本からのOSG製品を輸入。販売は計画以上に進みました。
04年春には天然社との合弁会社 中国法人 天然三愛(現、欧愛水基)が設立。
中国全土に広がる天然社300の代理店がアルカリイオン整水器の販売に取り組んで僅か1年足らずで中国のアルカリイオン整水器業界に「OSG」の名前が広がりました。
05年に入ってもその勢いは止まらず、中国産アルカリイオン整水器のメーカーも、雨後の筍のように参入し、中国産アルカリイオン整水器の過熱な販売合戦がオーバートーク等が原因で、同年秋に「第二次衛生部ショック」が勃発。好事魔多しの例え通りです。
この「衛生部ショック」が「天然社の金鋭董事長辞任」へと導き、その後の天然社との関係は、今回の訴訟問題へと繋がってくる訳です。
10年夏。7年間の歴史をもって天然社との関係に幕を下ろしました。
しかし欧愛水基は当初の目的である「アルカリイオン整水器の正しい知識を中国に広める」「ナンバーワンになる」の幕を下ろした訳ではありません。
天然社と完全に決別した欧愛水基は、その後どうなるのか。
11年に向けて新たな闘いが始まりました。
【追記】
裁判の結果から1年も経たず、自称弁護士董事長は天然社から解任されました。
訴訟問題から数年が過ぎた頃、元自称弁護士董事長とある代理店で偶然、会う事になりました。彼は奥様と一緒でした。彼とは当時かなり闘い、激怒し合った間柄です。当時私が天然社本社の会議室で、テーブルを叩いて激怒した時、通訳をしていた弊社社員さんも同じようにテーブルを叩いたのを横で見て、私は内心笑ったものです。怒りが弊社社員さんにも乗り移ったのでしょう。しかしそれ程の理不尽な事をした当時の董事長と、バッタリ会ったのです。その夜、奥様同席で、2人で白酒を飲みました。
「いやぁ、あの時は立場上、仕方がなかったんだ。大株主からの圧力もあって厳しい立場にいたので、湯川さん理解して下さい」と言い、私も「過ぎた話です。明白(ミンパイ) 明白(ミンパイ)」(わかった、わかった)と笑いながら、白酒を彼に注ぎました。
懐かしい思い出話を酒の肴に時間を過ごしました。彼にも奥様がいて、守るべき家族があるのだなと思いました。
中国では「それはそれ、これはこれ」的なところがあります。私が中国の好きなところですが、中国に長くいる日本人でもなかなか理解出来ないところらしいです。私自身も中国料理を食べすぎて、私の血が中国人的になっているかもしれませんが。
彼と別れる最後に聞きました。
「シン先生は本当に弁護士資格を持っているのですか」の質問に彼は笑って答えませんでした。
(次回に続く)
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