チャリティー枠(チーム)で申し込み、抽選に当選した第1回 大阪マラソンのゼッケンを、チームのメンバーであるOSGの社員さん達と一緒に取りに行きました。
私が今まで参加した42.195キロのフルマラソンは、ホノルルマラソンだけです。
40歳でマラソンを始めたホノルルマラソン(第106回・107回掲載)は比較的気楽に走れ、何よりも制限時間がないのが、私のような市民ランナーには魅力でした。
ところが大阪マラソンは区間毎に制限時間が設けられ、タイムオーバーの場合にはその場で止められるのです。緊張の為なかなか寝付けず、ビールを2~3本空けました。
2011年10月30日(日)
私は6時起床の目覚まし時計をセットしていましたが、4時半には目が覚めました。
体がだるいとか、快調だとか、そんな感覚はなく。ただただ出発時間に遅れてはならないと必死にスタート地点に行きました。
スタートラインは大阪府庁前です。チーム参加ではありましたが、私だけはるか後ろの大阪城公園内にある梅林公園あたりに1人いました。確か7時間グループだったと思います。
スタートのピストルの音も聞こえず、ただ前が動いたのでスタートした感じです。
私にとって本格的な国内市民マラソンのスタートでした。
スタートラインの大阪府庁前に辿り着いたのは、走り始めてから5分程が経過していました。
見慣れた大阪の街並みでしたが、特に御堂筋を走っている時は遅いながらも爽快な気分でした。ホノルルマラソンとは全く違います。それは応援の人達の言葉が分かるからです。
ホノルルマラソンのギャラリーの応援は全て英語です。何を言っているのかは分かりません。それでも応援してくれているのだなぁ~というだけは分かるので、全く分からない英語の応援でも勇気づけられます。
さて、大阪マラソンの話に戻ります。
通天閣が見える今宮あたりからギャラリーの顔触れが徐々に変わり、いわゆる大阪のおっちゃん・おばちゃん達が増えてきます。この辺りになると私も走ったり歩いたりの状態なので、声援内容がよく聞き取れます。
「兄ちゃん。よう、走ってるな。やめとけ、やめとけ。ここらで棄権したらどうや」とか「まだまだあるぞ、しんどいだけやぞ」と大阪独特の励ましの声援に見守られ、走ったり歩いたり笑ったり。やはりここは大阪マラソンです。
ホノルルマラソンでももしかすると英語で「よう、走ってるな。やめとけ、やめとけ」「まだまだあるぞ、しんどいだけやぞ」と言っているのかもしれませんが・・・。
それは、ないか。
私のような6時間台のランナーは、42.195キロをずっと走り通しているのではなく、時々走っていてあとは歩いている訳です。いわゆる「完走」ではなく「完歩」に近い。
沿道の温かい声援で「走れ~!ボケ」「何を歩いとるんや!さぼるな、走れ~!」と言われて不思議と背中を押されるように走る場合があります。それとテレビカメラを発見すると、何故かしら走り出します。私だけではありません。テレビカメラがあれば、その前だけは走りますが「映っていないな」と判断したところで、また歩き出します。そんな感じで前に進んでいます。
ところが一番真剣に走る場面が2か所あります。
その1か所は「カイ~チョウ~! カイ~チョウ~!頑張って下さい」というOSGの社員さん達の応援です。この時は会長のプライドを掛けて走ります。何としても会長の権威を崩してはいけない。会長の無様な姿を見せられないと走るのですが、走る前の疲れ切って歩いている姿をしっかり見られている訳です。しかし、テレビカメラと同じ効果があり、わずか数十メートルでも走ります。
もう一つ、走る場面があります。
それは区間制限に引っかかてはいけないと思う時です。この時はテレビカメラも社員さんの温かい応援なくとも必死になって走る訳です。「あと1キロで〇時間の制限があります」と係りの方が教えてくれます。この時は動けなくなった足を引きずってでも走る訳です。
そうして37キロあたりまで走ってきました。あと5キロです。足が棒のようでした。
最後の関門。これを越えるとあとは少々ゴールが遅れようが「完走」になる訳です。
そんな38キロ拠点。動かない足を引きずって「最後の関所を越えなければ」と歯を食いしばって走っていました。ところが私の目の前で突然ロープが出てきました。
「ハイ、タイムオーバーです」と職員さん達が笑顔で私を制止しました。
後から知るところの6時間4分でのタイムアウトでした。
私は「え~っ」と思いましたが、そこは法令順守を守る立場。(こんな時にコンプライアンス?)素直にルールに従う事にしました。
すると私よりも遅れた数名のランナーがロープを潜り抜け、阻止しようとする職員さんに「分かってる、分かってる」と言いながら区間制限地点を通過していきました。職員さんも「しょうないなぁ」とパスです。ここでも私は「え~っ!そんなのアリ?」
「大阪マラソンは第1回目で職員さんも慣れていないから仕方ないなぁ」と私は思いながら、ロープを潜り抜けたランナーを羨ましく思うのと同時に、みんなに合わせる顔がないと思う複雑な気持ちでいっぱいでした。
その後、オーバータイムのランナー達は護送車に乗せられ、まるで何か悪い事をした囚人達のような気分の中、運ばれていきました。バスの中は静かです。窓を見ると小さな雨が降っていました。
人生初のマラソン完走ならず!!
自分自身でも驚く位「それ程、落ち込むか」という何とも言えない心痛な気持ちと足の痛さと帰る時の交通便の悪さと雨天の四重苦を味わいました。
『第1回大阪マラソン・大会スローガン「みんなでかける虹」にちなんだ7つのテーマと、東日本大震災の復興支援のテーマ』のチラシが駅構内にあった時「いやいや、自分の四重苦など関係ない。めっちゃ良い思い出になった。この大阪マラソンに感謝します」と東日本大震災の復興のために頑張っておられる被災地の方々に対し、瞬間的にも落ち込んでしまった自分を恥ずかしく思いました。
※最終記録では38キロ拠点:5時間45分38秒。
制限時間は5時間42分で3分38秒オーバーでした
【追記】
前回まで東日本大震災関連の掲載が3回程続き、何か気持ちが落ち込むような内容になっていたかもしれません。今回は明るく掲載しました。
(次回に続く)
ご意見、ご感想は下記まで
support@osg-nandemonet.co.jp