代表取締役 湯川 剛

何度もお話ししています通り、07年3月のOSG社長交代後はOSGの未来ビジネスを担当するという事で、私は特に中国ビジネスと水宅配ビジネスに時間を費やしていました。
ところが前回掲載の通り13年3月のWN社長交代で少し時間が出来た事でこの年、余計な事に時間を費やします。本日は13年4月以降の出来事についてお話ししたいと思います。

余計な事とは、OSGの業務とは全く関係のないお話であると同時に、私にとって結果的には「余計な事」となってしまったアントニオ猪木さんの政界進出についての事です

12年暮れの猪木さんとの話です。彼は来年2月に古希を迎えるにあたり、毎年の誕生日パーティは「古希を祝う会」としての開催する事になりました。この時、私は「来年、古希を迎えて猪木さんとしては何かやり残した事があるか」のような話になりました。
その時、彼は「特別に何もないが敢えていうなら、もう一度政治家になってみたい」との事でした。
猪木さんは1989年「スポーツを通じて国際平和」を合言葉にスポーツ平和党を結成し 第15回参議院議員選挙に比例区から99万3989票をあつめて初当選し参議院議員の政治家の経験があります。1990年に湾岸危機問題で、人質になった日本人を当時の猪木さんらのブレインのチカラでトルコ航空機をチャーターして日本人全員を解放したという政治家2年目で快挙を成し遂げました。しかしその後、スポーツ平和党の前幹事長や第一公設秘書らが猪木さんを告発する、いわゆる「猪木スキャンダル」にてよって第2期目で落選という経験を持っています。この時の経緯は私には全く分からない話です。

私と猪木さんとの出会いはOSGのCMに出て貰う事がきっかけです。
【第81回:ナンバーワン製品に相応しいイメージCM】の掲載で「アントニオ猪木」の名前が初めてこの「人生はプラス思考で歩きましょう!」(略、「人プラ」)で登場します。このように改めて見直すと「人プラ」では早々と登場しています。私が35歳~36歳の頃です。

さて話は戻します。来年、すなわち古希を迎える2013年が参議院議員選挙がある訳です。
そこで私は「人生70歳を迎えて、本気で政治家として活躍をするのなら、私が動いても構いません」と伝えました。初当選した当時は新日本プロレスも全面的に支援したとの事ですが、新日本プロレスの創始者でありながら株式を手放し、支援して貰うようなバックアップもない状態です。24年前の勢いも支援団体もないので、どこかの政党から出馬する方がいいのではないかと猪木さんに伝えました。当選しようが落選しようがそれは結果論として「70歳のアントニオ猪木が挑戦する」事と猪木さんが私に言った「スポーツで平和外交」の言葉を受けて、私自身猪木さんに「私が動いてもいいですよ」と伝えました。
但し、もし出馬が上手く行かなかった場合、猪木さんに恥をかかせる事も出来ないので「一人勝手連」として動く事を条件としました。
13年2月。ホテルオークラで「古希の祝い」も済ませ、4月頃から動きました。 私自身、政治家との付き合いは全くありませんので、殆どが僅かなつてを頼りながら手探りで「猪木出馬」について各党に打診しました。各党といっても彼のイメージもあり、革新系は難しいと思っていました。
紆余曲折はありましたが、多くの方の協力を得て12年に結成された日本維新の会から出馬する事になりました。当時の日本維新の会は2人共同代表で代表の一人である橋下徹代表はあまり乗り気ではありませんでしたが、もう一人の石原慎太郎代表は大乗りで受け入れてくれました。
猪木さんが国会議事堂の記者室で日本維新の会からの出馬を表明した時、私も同席していましたが、横で見ているとやはり千両役者です。その後の選挙運動ではやはり「アントニオ猪木」の知名度は抜群でした。選挙の結果獲得票数35万6606票で当選。初挑戦したスポーツ平和党での99万3989票には大きく差がつきましたが、日本維新の会では最多得票との事です。特に大阪での得票数はどの地域よりも高かったとの事です。
選挙事務所で「当選」の喜びと万歳の場面は私自身テレビで見ていました。
この3か月間の動きは貴重な体験となりました。

その後の政治家アントニオ猪木の動きは皆さんもご存知のように大変お世話になった日本維新の会を脱会しました。抜群の知名度はありましたが、多くの方々の協力、特に日本維新の会の方々の協力無くして当選はなかったと思います。身勝手な行動が私をがっかりさせました。こうして私自身は少しずつ政治家 アントニオ猪木から遠ざかっていきました。

特に私自身が期待していた「スポーツで平和外交」という大きな旗を掲げていましたがその欠片も見せないままの6年間でした。結局は24年前と同じような感じで終わりました。

「三つ子の魂百まで」でしょうか。

 

【新型コロナ反転/支援の食パン】
私はOSGグループの中にある「水にこだわる高級食パン/高級食パン専門店」の仲間に「新型コロナウィルス感染予防に対し『私達にも出来る事』はないか」と呼びかけ「支援の食パン」を提案しました。

自らのリスクを背負い、新型コロナウィルス感染者の「命」を救う医療従事者の皆様になんとか支援できないかとの考えからの提案です。その結果、医療従事者の皆様に私達の食パンを食べて頂こうということになりました。これが「支援の食パン」です。

医療従事者2万人に対しての「支援の食パン」です。戦場のような医療施設に、私達の食パンを持参するのではなく落ち着いた時に近くの全国の店舗に取りに来て頂こうと「無料引換券」2万枚を準備しました。

緊急事態宣言解除から各病院施設を回りました。「引換券」と寄せ書きを添えて、関係者の皆様にお渡ししました。予想以上に喜んで頂きました。
たしか、ACジャパンのCMで医療従事者の皆さん向けの『ありがとうでは足りないほど、ありがとう。』というメッセージがあったと思いますが、まさにその表現の通りです。

社内でも医療従事者の方への敬意を示すように話しています。
極わずかな人達だと思いますが医療従事者の方やその家族の方に向けて、誹謗中傷や差別的な発言や行動をする人がいます。新型コロナウィルス感染者の治療をしている事で保育園に入園出来ないとか、公園で遊ぶ子供達を医療従事者の家族の方だけで遠退かせるという考えられない報告を聞く度に胸が痛みます。

私達が医療従事者の方々への書いた寄せ書きの一つ一つの言葉に、私自身熱くなりました。 改めて、新型コロナウィルス感染症と闘っておられる医療従事者の皆さんに、心から労をねぎらい感謝致します。

ゆっくり落ち着いた時に、私達の食パンを味わって下さい。

(次回に続く)

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