代表取締役 湯川 剛

1970年8月の創業後3年間、OSGに中長期計画はありませんでした。
私を含めて5名のメンバーと5坪足らずの貸室でのスタート。そのような状況ですから「中長期計画」を立てる等の余裕も意義も全くありませんでした。例え「中長期計画」の重要性を知ったところで、3年後・5年後に会社が存続出来ているかどうかも分かりません。
ましてや当時の私には「会社消滅」等の発想は、露ほども持ち合わせていませんでした。
前回の話で例えるならば『「成功したい」という気持ちが「10」、「失敗したら」という気持ちが「0」。そうすると実際の達成行動は「10」になる』というあのパターンです。
ただただ目先の「生きる」事だけで精一杯でした。

会社設立4年目に初めて「7ヶ年計画」(第36~38回)という中長期計画を立案しました。
当時は「第1次」という言葉はありません。それは後付けです。とりあえず、7年後の創立10周年に小さくとも自社ビルを建てるという目標を掲げました。
それから以降「第2次5ヶ年計画」を掲げ、「第3次」「第4次」と今日まで中長期計画を立てて経営をしてきました。

この14年当時は「第8次3ヶ年計画」の2年目です。
第1次から第8次という表現だけを見るとそんなに時間がかかっていない錯覚に陥りますが、実際には1974年から2014年と「40年」の歳月を要している訳です。
改めてこのように考えると、長きにわたって「中長期計画」を目標に経営をしてきたのだと感慨深いところがあります。その間に「10周年」「20周年」と区切りの周年式典も行なってきました。近々では2011年の「創立40周年記念式典」(第407~408回)です。 このように40年にわたり中長期計画を立案して、常に「目標」を掲げて経営をしてきました。「継続は力なり」の言葉を借りるならば、その最大の「力」の効果は「人材」です。
この40年間に多くの社員さん達がOSGに集まってくれました。更にお客様や販売店様の数も桁違いに増えています。創業当時は家庭用浄水器1機種だけだったのが、事業領域の拡大を目指し、水宅配事業からドラッグストア等に設置されてある自販機、更にオリンピック会場や空港・鉄道等、様々な施設に設置されてあるプレッシャーウォーター等を含め、今や業務用から産業用まで幅広いアイテムが増えました。海外に製販拠点も出来ましたし、OSG東京大学食の安全・安心研究所も設立。40年間の「継続は力なり」はこうして目に見える形になっています。

のような意味で、OSGにとって中長期計画は大きな原動力となりました。
しかし「継続は力なり」という反面、私の心の片隅に「継続はマンネリ」をも生んではいないかと反省する事もあります。その背景にはいろいろな要素が含まれていますが、一番の要因は、私の年齢ではないかと思います。
第1次7ヶ年計画を立案したのが27歳の時です。それから40年が経つ訳です。
第8次3ヶ年計画を決めたのは、66歳でした。
更に言えば私のポジションが変わりました。先頭に立って全員を引っ張っていくぞ!という会社のトップの気概を決して失っているつもりではありませんが、私が会長である事、そして社長の立場もありますし、当然社員さんとの距離は従来と同じではいけません。
「第8次3ヶ年計画」当時の私はOSGから少し距離を取り、同時に水宅配事業の経営も新社長に移譲し、「中長期計画」に賭ける気持ちが少しぼやけていた時かもしれません。

振り返ってみれば「第1次7ヶ年計画」は、「自社ビルを建てるぞ!」という大きな目標が明確にありました。「第2次5ヶ年計画」では、新規参入した低周波治療器の業界に、後発組でありながら業界ナンバーワンを目指すという気合いや意気込みで溢れていました。
「第4次10ヶ年計画」では上場会社を目指すという大きな夢がありました。
そのように考えると、第5次の事業領域の拡大とグローバル化は別として、後は売上目標を中心とした「中長期計画」でした。いわゆる「数字」が中長期計画の目標であり、その要因は上場した事にあるのではないかと思います。

創立当時の何もない状況下、ただただ若さだけがあったあの当時の粗削りな目標設定を思い出さなければなりません。そのような意味では次なる大きな節目に当たる2020年の50周年を境に、改めて「夢」のある中長期計画は若手社員を中心に立案させるべきだと思います。「第8次」は既成路線としてまずは前に進み、更に「第9次 中長期計画」をやり遂げた後に「創立50周年」を迎えます。その後、改めて「第2創立期」としてOSGの若い社員の皆さんに創業の「夢に向かって走る」ような「中長期計画」になればいいと思います。

(次回に続く)

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