アントニオ猪木のスキャンダルから年末恒例の「イノキボンバイエー」開催が危うくなっていました。スポンサーA社とB社の立場に立ってみれば、理解出来ない訳でもありません。
しかし開催間近での協賛金キャンセルはIGFにとって存亡の危機です。
少し話は変わります。
アントニオ猪木氏は過去に何十億という借財があったらしいです。
それにも関わらず、それを全額返済したのか肩代わりして貰ったのか、実際の詳しい事実は分かりませんが、莫大な借財を消滅させた事も1つの伝説となり、稀有なスーパースター「アントニオ猪木」が誕生している訳です。しかしそれは全盛期のアントニオ猪木です。もしかすれば現役時代のアントニオ猪木選手なら、両国大会に億を超える費用など、さほど大きな問題ではなかったのかもしれません。しかし当時70歳の古希を超えた、政治家アントニオ猪木にはスポンサーから見放されれば、かなり厳しい状況に陥る訳です。その危機が目の前に現実に現れたのです。話を少しまとめます。
12月17日、IGF役員会議にて「スポンサーから猪木の女性スキャンダルで協賛金を出せない」との報告。「まだ2週間ある」と私とスポンサーとの面談を指示。
18日、アントニオ猪木との面談で開催の確認と万一の借財を背負う覚悟を確認。
19日、「力道山を忍ぶ会」にA社とB社の幹部が出席。
20日、A社訪問。紆余曲折あったが「女性スキャンダルもアントニオ猪木だ」との事で、結果的にキャンセルを回避して「協賛金了解」を得る。その足でA社がやらなければわが社もやらないといったB社からも「協賛金了解」を内諾。
21日、両社の内諾を確認して上海に出張。
以上までが前回の〝あらすじ〟です。
23日、IGFから上海に電話がかかり「A社の会長が土壇場で協賛金を出せない」との事です。顔色までが分かるような電話の声でした。まさに青天の霹靂とはこの事です。「どうしてだ」と尋ねたところでIGFに確認する事は無意味な事です。ここが東京であればすぐにA社に駆けつけるところですが、ここは上海です。
そこで私は「明日16時45分に羽田到着。全員集まっておくように」とIGF役員に指示しました。
2013年大晦日、両国国技館で「イノキボンバイエー」を開催する事は、既にマスコミを通じて周知の事実です。スポーツ紙は試合の予想記事を掲載し、東京都内では広告用トラックが開催PRに走っています。今更「スポンサーが下りましたので開催できません」という訳にはいきません。これは12月18日、猪木氏との面談で確認済みです。
A社の情報を聞いたB社も「A社がやらないならわが社もやらない」との事です。
24日、羽田から新橋にあるIGF社に駆けつけました。
大会準備は数か月前から行ないます。会場を押さえ日本選手や海外からの招聘選手も手配済みです。莫大な宣伝費用も掛けている訳です。その全ての金額はここでは詳しく説明できませんが「億単位」です。当然、協賛金も数億です。
スーパースターアントニオ猪木とは30代から付き合いがあり、何とかしてあげたい気持ちはいっぱいでした。IGF社を見回しても私以外にこの問題を解決出来そうもないという気持ちが自分自身を駆り立ています。同時に一旦決めた事を簡単に翻したスポンサーの行為も許せない気持ちがありました。まして私自身が交渉した事です。B社とは経営者と直接面談している為、何の問題もありませんが、A社の場合、実力会長に面談を求めても決して私と会う事はありませんでした。だからこのような状況が起こる訳です。
さて緊急役員会議で改めて確認したところ、「20日にOKは出したA社の会長が突然ダメとの事です」。さすがの私も開催1週間前にしてしかも1度のキャンセルをひっくり返した後、再度のキャンセル表明に「まだあと1週間ある」という言葉は出ませんでした。打つ手もなく会議自体は重苦しい雰囲気に支配されていました。
私は「ここまで来た以上は致し方ない。A社も1度ではなく2度断っているので恐らくこれをひっくり返すのは無理だろう。18日に猪木会長の考え方も確認してある。万が一、協賛金はつかない場合でも開催はする。猪木会長に借財は背負う事も伝えている」と最終結論を出しました。後は大会を無事終了させる事と、その後に残る大きな借財をどのようにIGF社が返済するのかという問題意識だけが私の頭の中にありました。IGF社の〝頼まれ監査役〟として交通費は支給されるが無報酬の私にここまで考える必要も責任も全くありません。しかし悲しいかな「経営者の性」が何とかせねばという思いにさせます。
「いずれA社にはスポンサーとして今後の対応について話し合いをしなければならない」と今回のドタキャンに対する決着も考えていました。私も出張帰りなので会議終了後、部屋を出ようとした時、ある役員が「実はもう1つ大きな問題があります」と私を引き止めました。
これ以上の何が問題なのかと思い、「なんだ?」と質問しました。既にB社もA社に歩調を合わせ協賛しない事は会議で報告がありました。そこで更に「もう1つ大きな問題がある」との言葉に、これ以上の何の問題があるのかと不機嫌に近い言葉で改めて私はその役員に向かって睨むように「なんだ?」と言いました。
その役員によると「スポンサーが協賛しないとなると招待チケットが戻ってきます。これがテレビ放映で空席として映ります」そこで私はそれがもう一つの問題かと思い「何枚あるの?」と確認したところ「A社・B社あわせて招待席は500席以上あります」との事です。
私は「ううううん」と唸るだけでした。協賛金が入ってこない。しかも開催1週間前にして500席以上の空席が出る。特にA社の場合、常に招待席は「正面でなければダメ」「テレビが映る場所でないとダメ」との事で、リングサイドがズラリと空席になるという訳です。空席を想像するだけで両国国技館の会場の状況が手に取るように分かり、ゾッとします。
そこで別の役員が「結論的には空席を作る事は出来ません。何としても埋めなければなりません。そこで協賛金は別として従来通りA社にもB社にも招待席は使ってもらうしかありません」との事です。私は「それならそれでいいのではないか」と言いましたが、心配している役員は「しかし協賛はしないので観戦には行かないと言われた時のことを心配しています」との事でした。
私は「分かりました。とにかく私は明日、A社に行きます」と言ってT社長にも同行するように伝えてIGF社を出ました。
IGF社から新橋駅に向かって歩きながら緊急会議の60分を考えました。
上海で既に「協賛金は入らない」と事前認識していましたが、改めて役員会議でその厳しい現実を確認した訳です。更に予期せぬ「大量の空席が起こる」という問題を突き付けられました。弱り目に祟り目。二進も三進もいかない。貧すれば鈍するという状態に本来、このような状況を作らないのが「明るさの磁場経営」を標榜している私です。このような状況で「陽転思考」で切り抜くにはどうすればいいのかと、考えながら歩いていましたがこれと言った名案も回答も出ないまま新橋駅に着きました。
この日は12月24日。新橋駅前のSL広場はクリスマスイブで賑やかでした。
私の気持ちといえば沈んでもなく、落ち込んでいる訳でもなくといって、気持ちが昂揚している訳でもありません。ただ間違いなく「クリスマスイブの気持ち」ではありませんでした。
さぁ、どうなるのか。明日のA社訪問。
【追記】
明日の2020年11月11日は本来、「創立50周年記念式典」が開催される予定でした。
東京 新高輪プリンスホテルにて約2500名が参加しての式典です。よって本来ならその準備に全社員が没頭している最中です。原則的には全員参加ですので、札幌から沖縄までの営業所は東京に集結。海外からのお客様への対応に多分、仕事が手につかないのがこの日の本来の状況です。ところが全てが一変しました。残念ながら新型コロナウイルスの出現によって全てが変わりました。数年前から準備していた企画も凍結されました。
私は11月11日付で全社員の皆さん及びパートの皆さんに下記のメッセージをお送りしました。このメッセージは創立50周年記念に私個人の思い出として制作した映画「セカイイチオイシイ水 ~マロンパティの涙~」のDVDのケースに書かれています。
同時にOSGグループ約600名を超える全社員の皆さん及びパートの皆さんへ、私から「GO TO EAT支援金」として一人につき1万円を11月11日に支給する事になりました。特に2月の終わりから今日まで新型コロナウイルス感染予防の行動に対して、かなり厳しい感染予防を全社員の皆さん及びパートの皆さんにお願いしていました。その為のお礼としては少額ですが、この11月11日に支給する事にしました。
またOSG社員会「青樹会」の会長にお願いして、毎月積み立てている積立金から5万円(会社負担40%)を「GO TO トラベル支援金」として支給してはどうかとの打診をし、快諾して貰いました。このような形で本来の「創立50周年記念式典」の開催日に支援金を支給する事も後々の思い出になればと思いました。
(次回に続く)
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