2015年、新年を迎えました。
OSGは1月が決算月ですので、毎年ゆっくりとお正月気分を味わう事はありません。
2015年は1月5日が仕事始めでした。
毎年恒例のフレーズで「1月決算・1月決戦」と多少時代遅れの感じですが、このフレーズで1カ月を過ごします。特にこの年の決算月は、OSGグループ前年比増収増益で締めくくる雰囲気があり、それだけにOSG本体の社長も就任2年目のウォーターネットの社長らも何となく仕事始めの日から意気込んでいました。
そこで「1月決算・1月決戦」は上司自ら実績を上げる事によって部下を育成するという意味で、各事業部責任者同士の「大将戦」が企画されました。当時は第8次3ヶ年計画(2013年2月1日~2016年1月31日)の2年目の決算月で、既に1年後の第9次4ヶ年計画(2016年2月1日~2020年1月31日)の検討もされていました。
2020年は「創立50周年」に加え、オリンピックイヤーでもあります。そのような意味において第8次3ヶ年計画と第9次4ヶ年計画は極めてOSGの将来図を決めるのに重要な中長期計画でした。
毎年1月の管理職の特に上席管理職に当たる事業部責任者は大変です。
1月の決算も対応しなければなりませんし、来期すなわち来月から始まる新年度での準備もしなければなりません。特に来期は「第8次3ヶ年計画の最後の年」となりますし、既に「第8次3ヶ年計画の最後の年」のテーマが決まっていました。
「株式上場15周年キャンペーン」の準備もしなくてはなりません。
さて、私の1月は当然グループの責任者としての対応がありますが、もっぱら「お年玉1000人配り」に月の半分が費やされます。この「お年玉配り」は、年の初めの新たな出会いや情報収集の機会であり、これによって時にはアイディアが生まれる場合もあります。
そんな「お年玉配り」での話です。
彼の名前を一応「林野裕之」としておきましょう。
彼はOSGの情報誌を制作していた会社の社長です。正確に言えば社長でした。
仕入先や取引先ではなく、協力関係企業の社長ですので本来は私との接点はないのですが、彼の場合、在阪テレビ局の専務の紹介として知り合った流れで、OSGの情報誌の制作を依頼しました。私との年の差は20歳程。若手経営者の一人として私は興味を抱いていました。そんな彼が大病を患い、その関係から自らの会社を印刷会社に譲渡したという話を耳にし、心配していました。
それから数年が経った14年の春。林野氏が「体が回復し、新しい事業を始めた」と突然、食パンを5本程持って姿を現したのです。彼が元気になった事、また事業を起こした事を喜びました。しかしその後また連絡が取れなくなってしまったのです。
そんな彼の情報を得ようと、かつての彼の部下に「お年玉を取りにおいでよ」と声を掛けたのが2015年の年明けでした。
「お年玉」を介して何か情報が得られれば・・・と、かつての部下に声を掛けた訳です。
このように日頃会わない人と「お年玉」を通じて再会する事もあります。そして時には大きな展開を巻き起こす事も長い経営者人生の中には数々ありましたが、15年の「お年玉配り」にもそのような何かが潜んでいました。
(次回に続く)
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