代表取締役 湯川 剛

昨夜殆ど眠れないまま「10月14日」を迎えました。
昨日のお通夜で予定されていた3倍近い参列者の方々に感謝すると同時に、本日の葬儀告別式がどのようになるのかを考えていました。葬儀社との準備段階での打合せでは担当者から言われたのは「ファンが押しかけて来る」との想定でした。お通夜・告別式の日程は発表していましたが葬儀会場は伏せていました。しかしファンの方は葬儀会場を調べ、今の時代SNS等で拡散するという懸念を葬儀社担当者から言われていました。後で述べますが猪木宅から斎場までご遺体を移す場合もマスコミが追いかけてきました。それだけに昨夜のお通夜の事もテレビやネットのニュースでアップされての当日の告別式を迎える訳です。それだけに何か事故が起こらないか、無事終われるか、という見えない先に思いが馳せていることが、私の睡眠を妨げていたと思います。
ふと猪木語録にある「一寸先はハプニング」の言葉がよぎり、すぐさま「猪木さん、やめて下さいよ」と思いました。「家族葬」であれ、やはり「アントニオ猪木の告別式」というプレッシャーは感じないわけではありません。また頭の隅にあるのは「猪木さん、このような感じでいいですか」という猪木さんからの評価に対する確認が常にありました。
ネットには「猪木さんこそ国葬にすべきだ」という声もファンの方々にある為、事前に「お別れの会を開催する」と発表していましたが、当日何が起こるか分かりません。
本来は猪木家のご遺族の方々を中心とした「家族葬」ですが、昨日のお通夜でそのような訳にもいかなくなりました。

冒頭でも言いましたがメディアの方々にも協力して頂き葬儀会場は伏せていました。
葬儀会場は「桐ケ谷斎場1階雲の間」です。
会場に到着した時には既にテレビ局の撮影班が告別式の模様を撮ろうと決められた報道陣エリアに各局陣取っていました。更にマスコミ関係者らしき人やファンの人も会場の前に集まっていました。
会場に入ると受付1時間以上前なのに、既に20名程の参列者の方が着席されていました。私は猪木さんのご遺体に挨拶をし、顔なじみの参列者の方にも挨拶をしました。
到着した時から気になっていた事がありました。それは報道陣エリアと葬儀会場を防ぐような形で警察の大型車が駐車していました。多数の警察官もいました。会場に入った時も耳にイヤホンをしているスーツ姿の目が鋭い人達も多数いました。すぐ警察関係者の方だと思いました。大きな斎場なのでVIPな警察関係者の葬儀があるのかなと思いました。とはいえ、撮影班と葬儀会場を防ぐような事になれば、各テレビ局は出棺の模様を撮影する事は出来ません。そこで葬儀社関係者に「あの警察車は撮影の邪魔になるのではないか」と確認すると、撮影の時は移動するとの事でした。そこで葬儀社に「警察のVIP関係者の葬儀があるの?」と確認しました。すると「いや、アントニオ猪木さんの葬儀の為に来ている」との事でした。それを聞いて私は驚きました。葬儀社が警察に依頼したのかと確認したところ、そうではないとの事です。昨日のお通夜の関係なのか斎場周辺の道路に大渋滞が起こり、周辺住民の方々から警察署にクレームが入ったとの事でした。本日の「告別式」に対して何か問題があってはいけないとの配慮でした。
更に葬儀社の話によると、警察官の数は安倍総理の葬儀告別式と同じ人数との事です。

ちなみに安倍総理の葬儀告別式も桐ケ谷斎場との事でした。
改めて「アントニオ猪木はやっぱり凄いな」と思い、猪木さんに早速報告しました。遺影の猪木さんの顔は「そりゃそうだろう」と少し満足そうな顔に見えました。告別式会場には古館伊知郎アナウンサーのアントニオ猪木の試合の実況放送が繰り返し流れていました。

告別式には昨日のお通夜に続けて新日本プロレスの選手らを中心にプロレス・格闘技関係者が多数参列してくれました。また政界から鈴木宗男代議士他多数に、作家の佐藤優氏やミュージシャン等の芸能文化人やプロ野球解説者の江本孟紀氏等のスポーツ関係者も多数参列してくれました。私の席にスタッフが来て「Xさんが自分の席がないと大きな声で騒いでおられます。責任者を呼べとの事です」に私は「では行こう」と言いましたがスタッフがもう一度確認してきますと制止されました。私は「猪木家」の葬儀告別式の葬儀委員長ではありません。ただご遺族の方に頼まれて責任者のような形になりました。その後、株式会社猪木元気工場の高橋社長が「私の方で対応しました」と報告がありました。そのX氏が私の後ろの席になりました。後ろから私の肩を指で少し叩き「湯川会長、私の席がお通夜ではあったのに今日はないのです」と言ったので「静かに座って下さい」と諭すと静かになりました。
とてもいい人なんですがやはり特別扱いをされないと気分が悪いのでしょうね。

さて葬儀告別式がいよいよ始まりました。
猪木家の菩提寺である曹洞宗の大本山総持寺(横浜市鶴見区)のご導師様ら僧侶が入場されました。参列者全員合掌の下でお迎えしました。告別式開始直後でご導師様の少しハプニングがありました。私は隣に着席していた髙橋社長に「猪木さんのいたずらだ」とささやきましたが、髙橋社長は祭壇の方を向いていました。「湯川会長、静かに座って下さい」のような雰囲気でしたのでそれ以上言わないでおこうと思いましたが、もう一回「あれは猪木さんのいたずらだ」と我慢できず言いました。そして遺影を見ると間違いなく猪木さんは笑っていたように見えました。
ご導師様は引き続き何事もなかったように読経をを唱えられていました。
喪主を務めた実弟の啓介さんに続き、寛子さん親子3人が故人の前で焼香を行ないました。ご遺族の方の焼香が終わり、続いて私の番が来ました。猪木さんの遺影を見、手を合わして2回焼香しご遺族の方や参列者の皆さん方に一礼し、着席しました。
着席してから以降の時間は、実は私自身あまり覚えていません。ただただ猪木さんの遺影を見ているだけでした。参列した各人が故人の前で焼香している間、時間が止まったようです。何とも言えない不思議な空間でした。なぜ、猪木さんの葬式をしているのか。なぜ、猪木さんの遺影がそこにあるのか。別世界の出来事のような時間が流れていました。
その後、進行係の女性アナウンスの声で、お別れの準備をするので全員会場を出るように促されました。私はゆっくりと席を立ち、「もう終わったのか」という気持ちになりました。旧知の参列者の方々にご挨拶し、いよいよ「お別れ会」の時間が来ました。
新日本プロレスの選手らが中心に、プロレス関係者の皆さんが赤い闘魂タオルを首に巻いて貰いました。
故人が眠る棺にご遺族の方が最初にお別れの時です。続いてプロレス関係者の皆さんが祭壇に飾ってあった「アントニオ猪木」の象徴だった真っ赤なバラを次々と敷き詰められました。葬儀社の関係者の方が私を探し「会長さん、会長さん、早く前に来て下さい」と促されるくらい、私は棺から離れたところで立っていました。それ程、客観的に「お別れ」を見ていました。参列者の皆さんはそれぞれの思いを永眠っている猪木さんに投げかけたと思います。棺の中は、溢れんばかりの花が真っ赤に染まっているようです。その中に誰が準備してくれたのか、猪木さん愛用の葉巻も添えられていました。
喪主である猪木啓介さんからの挨拶がありました。
「亡くなる前日、兄貴に呼ばれて部屋にいきました。ドアを閉めろとの事で、大事な話があるのかなと思っていました。1時間ほど兄貴のそばにいました。何か伝えるのかなと思いましたが、その力もなく口を動かしていました。多分皆さんにありがとうという言葉を残したかったんだと思います。これまでアントニオ猪木を支えて下さった皆様、本当にありがとうございました」とご挨拶をされました。

いよいよ霊柩車まで棺を運ぶ時間になりました。
実はその棺を担ぐ選手は事前に決まっていました。新日本プロレスを代表して棚橋・オカダ選手にWWE所属の中邑選手。それに武藤・蝶野・藤田・小川・藤波選手の8名には事前にお願いしていました。ところが担ぐ段になって、自然発生的にプロレス関係者の方々が次々と棺に手をかざしたのです。一人ですら歩くのが困難な坂口征二さんも棺に手を添えました。
たぶん、猪木さんが「おい、みんな。担げ!」と言ったのでしょう。
アントニオ猪木のテーマ曲「炎のファイター」が会場に流れました。
イノキ・ボンバイエ~♪イノキ・ボンバイエ~♪イノキ・ボンバイエ~♪

棺は霊柩車の手前で一旦止まりました。その時、新日本プロレスのリングアナを務め、幾度となく「アントニオ猪木」の名前を叫んできた田中ケロリングアナから
「永遠なれ闘魂! 190cm、105kg!アントニオ猪木―!」
と、ラストコールしました。更に「炎のファイター」のテーマ曲が高く大きく流れました。
イノキ・ボンバイエ~♪イノキ・ボンバイエ~♪
イノキ・ボンバイエ~♪イノキ・ボンバイエ~♪
すると多くの参列者の中からこれも自然発生的に「イノキ・コール」が起こりました。
イノキ!イノキ!イノキ!イノキ!イノキ!イノキ!イノキ!イノキ!イノキ!イノキ!
私は棺に手を置く事は出来ませんでした。霊柩車に乗棺。参列者から拍手が起こりました。
私はどこかで映画のシーンを見ているような気持ちになりました。

イノキ!イノキ!イノキ!イノキ!イノキ!イノキ!イノキ!イノキ!イノキ!イノキ!
私はその後の火葬炉に行く間、心の中でずっと「イノキ・コール」をしていました。

【追加】
プロレス・格闘技ファンの方に向けて、プロレス・格闘技関係者の参列者(弔問・お通夜・告別式)の皆様です。(敬称略・順不同、スタッフが把握した皆様)

木谷ブシロード社長・大張新日本プロレス社長・菅林新日本プロレス会長・坂口征二
棚橋弘至・中邑真輔・オカダカズチカ・小島聡・後藤洋央紀・柴田勝頼・獣神サンダーライガー・タイガーマスク・田口隆佑・天山広吉・永田裕志・飯塚高史・真壁刀義・矢野通
タイガー服部・三澤威・小林邦昭・木村健吾・木戸修・北沢幹之・将軍KY若松・栗栖正伸

藤波辰爾・長州力・高田延彦・武藤敬司・蝶野正洋・藤原喜明・小川直也・藤田和之
初代タイガーマスク(佐山サトル)・船木誠勝・小橋健太・桜庭和志・宮戸優光・佐々木健介・北斗晶・グレート小鹿・ウルティモドラゴン・鈴木秀樹・澤田敦士・ケンドーカシン・将軍岡本・鈴川真一・藤波玲於南・西村修・小原道由・吉江豊・成瀬昌由・佐野巧真・富家ドクター・田中秀和・大谷晋二郎(代理)・田村潔司・シーザー武志・前田日明・和田良覚・平直行・渡部謙吾・スダリオ剛・新間寿・田中敬子(力道山夫人)・榊原信行・笹原圭一・谷川貞治・柳澤忠之・武田ノア取締役・平井丈雅・アントキの猪木・アントニオ小猪木
亀田興毅・北の富士勝昭・舟橋慶一・古館伊知郎・原悦生(カメラマン)・湯沢週プロ編集長

お通夜前日に新日本プロレスの菅林会長から私に、闘病中の大谷晋二郎からどうしてもお通夜か告別式に参列したいとの連絡が入りました。大谷選手は6か月前に「頸髄損傷」の重傷を負ってリハビリ中との事です。首から下の麻痺が続いて全く動けないと聞いていました。私は是非とも猪木さんにお別れを言って下さいと返事しました。大谷選手の代理人からストレッチャーで行くので医者や看護婦等4名になるが席数はいいかとの確認でした。
結果的には病院からの許可が貰えないとの連絡でした。大谷選手の気持ちは猪木さんに伝わっています。大谷選手の1日も早く回復をお祈りします。

(次回、11月5日に掲載します。)

ご意見、ご感想は下記まで
support@osg-nandemonet.co.jp