代表取締役 湯川 剛

長い時間をかけて、猪木の「ここから出たい」が8月2日にやっと実現しました。
今の世にこんな理不尽な事があるのでしょうか。その最大の原因は猪木自身がひとりで身動き出来ないというもどかしさです。人の手を借りなければ50センチも動く事は出来ません。
そんな状況の中、猪木自身が一番辛かったでしょう。私との電話でも何度も何度も「もう少し待って下さい」の言葉を信じて忍耐に忍耐を重ねていたと思います。
猪木の忍耐からみれば、私など比較にもなりません。私は我慢が出来ず、つい代理人の弁護士先生に「なぜ、早く解決出来ないのか」と苛立ちな気持ちで言った事もあります。先生方も「早く解決してあげたい」という思いや目的は私以上にあったと思います。
そしてその日が急にやってきました。そのため受け入れる場所としていろいろ奔走しました。
「一時避難」としてホテルや私のネットワークで高級介護施設も検討しましたが、医療チームの条件は「都内」でした。実弟啓介さんの住居から5分以内で行ける場所であることも絶対条件でした。
不動産会社を片っ端から連絡しました。啓介さんから「白金台エリアにあるタワーマンションの最上階が空いている」との情報が入り、私も夜に駆けつけた事を覚えています。
「よし、ここに決めよう」と即決で決めました。「入居後、猪木さんが気に入らなければまた変えればいい」と啓介さんに伝えました。
その部屋から富士山が見える事や猪木が満足してくれた事を後日知り、安心しました。

受け入れる為には介護体制も充実させなければいけません。
啓介さんの紹介で江端さんが来てくれました。彼は介護経験が長くあり、安心して任せられる人です。幸い、私は数年前に江端さんと会ったことがありました。強力な人材です。介護チームのリーダー的な立場になって貰いました。
また猪木さんの指名で宮戸さんが参加してくれました。彼女は介護福祉士の資格を持っているプロの介護士です。やはり女性がいれば、細かな事も対応して貰え、絶大なる信頼があります。受け入れ態勢が出来ました。
このお二人の方々と出会った事は感謝以外の何物でもありません。頭の下がる思いです。
徹底的に猪木に対して24時間の「介護」体制の仕組みを作ってくれました。

待ちに待った8月2日。私は仕事の関係で立ち会う事は出来ませんでした。この日は啓介さんと髙橋社長にお任せしました。前住居から早朝にも関わらず荷物を運んでくれました。
引っ越し後の初面会。私が猪木宅を訪れたのは6日後の8月8日16時でした。
私が準備した部屋だとは言え、やはり他人のお宅を訪問するような気持ちです。
部屋に入るとテーブルがあり、そこに車いすの猪木がいました。
あれ程お互い長く待ったにも関わらず、実は話しらしい話しは殆どありませんでした。
「どうも」「どんな感じですか」等たわいもない、わずか20分程で私は退室しています。こういう時、男というのはなかなか下手なものです。またたぶん猪木にしてもお世話になるという気持ちに多少の抵抗感はあるだろうと私も勝手に猪木の気持ちを察していました。
勿論、お世話はするのですが押しつけがましい気持ちは1ミリもありません。またそのように猪木に感じさせてはいけないのです。むしろ「お世話をさせて貰う」というのが私の真実の気持ちです。初日の面会はそんな気持ちの表れが、たぶん部屋を早く出たと思います。
改めて2日後10日の18時に来ることを伝え、私はさっさと部屋を出ました。

8月10日18時。髙橋社長と一緒に猪木宅を訪問しました。
テーブルを挟んで車いすの猪木と会いました。ここで介護リーダーには一旦部屋から出て貰い、私達が3人の状態になりました。私は改めて猪木との約束について再確認をしました。
「猪木さん、1つ目の約束は実現しました。長くかかり本当にすみません。2つ目は、髙橋社長が動いてくれます。猪木さんに相応しい大きな仕事を企画しています。3つ目はこれからです」に猪木もただ頷きながら聞いてくれました。
その後私は猪木に向かって改めて座り直してから神妙な顔で言いました。
「もしこの生活で何か不便や不満な事があれば、直接私達2人に言って下さい。もしその不満が第三者に伝わると、その事が歪曲され週刊誌のネタになります。猪木さん、どうかそこのところをお願いします」と真正面に座っている猪木に頭を下げ正直な気持ちを伝えました。横で髙橋社長が私が話した内容に少し驚いていたような気がしました。もう週刊誌ネタはコリゴリです。家族にも迷惑を掛けます。素人の私には正直キツイ話です。

猪木は「俺が実際に言えばもっと大きくなる」と笑顔でいいました。この意味は今までの週刊誌等は全く猪木自身は関知していないというメッセージも含めてです。3人で笑いました。猪木の笑顔が何よりです。如何にこの笑顔が多くあることがこの部屋に移ってきた目的です。猪木の笑顔は、私達にとって大きな褒美を貰った気持ちになります。お世話をしている介護チームの人達も同じ気持ちです。「猪木の笑顔」は周囲を明るくしホッとさせます。
猪木は私に直接は言いませんが、訪問客には「地獄から天国だ」と伝えていると聞き、胸がジンとなりました。猪木もなかなか私を使うのが上手です。

介護チームリーダーの江端さんから報告が来ました。細かな猪木の日常生活での報告です。何時に寝た、何時に起きた、トースト何枚食べた、かまぼこを食べた、血糖値や血圧、脈拍、酸素飽和度、呼吸回数等、それは大変細かな報告です。新居に移転して1週間、主治医の先生から介護の体制に褒めて頂いた等が当時嬉しい報告でした。何よりも嬉しいのは猪木の改善です。全て数値で報告されていました。私や日々時間があれば猪木宅に来てくれている仲間や介護チームのメンバーは来年2月20日の80歳までを当面の目標にして頑張ろうという気持ちでした。

私は東京にいる時は仕事に差し支えなければ極力、猪木宅で食事に行きます。一緒に食べると彼も食事が進むという事です。猪木の部屋は、全国のファンの方からいろいろなモノが送られてきます。また訪問客もいろいろな差し入れをされます。また江端さんら介護報告によると4~5人の人が来てワイワイ話しながら食事をし、差し入れの美味しいお酒を飲むと聞いています。猪木の人生には必ず多くの人がいて集まります。彼を中心に食べ、飲み、話し合う。それが大好きな猪木です。猪木本人は食べなくても、見ているだけで嬉しいのです。
それだけに、なぜ前のマネジメント会社の人達は多くの人を遠ざけたのでしょうか。
ま、この話はおいておきましょう。過ぎた話ですから。

猪木の食事には介護チームの江端さんや宮戸さんが献身的に介助されます。基本的には食べ物を猪木の口まで運びます。時には猪木自身が自らの手で食べる事に挑みます。本人も食べる時に介助されるのは辛いのでしょう。フォークを右手に持ち自らの口に運びます。しかしこれがあまりうまく行きません。どうも右手を上げる事が困難なようです。その時、猪木は左手の素手で直接食べ物を掴み自らの口に入れます。そうすると私も素手で食べ物を掴んで同じように食べます。「この方がうまい」と言います。この時の私の気分はいい雰囲気です。大の大人が手掴みで食事をしている訳です。猪木自身も私を家族のように思ってくれているのでしょうか。この光景がごく普通です。この瞬間を得る為に努力したことが報われます。
入居してから私には猪木の「人間の尊厳」という言葉が消えました。間違いなくそれは病症にも影響を与えます。医療チームからの報告も驚くべき改善があるとの事です。そのような精神的影響もあるのでしょう。体重が増えましたとの報告も嬉しい報告です。

8月22日。私はこの日のランチに訪問する事を事前に伝えていました。部屋には元猪木マネージャーの宇田川氏がいました。宇田川氏は本当によくやってくれました。時間があればいつも猪木のところにいてくれます。スーパースターアントニオ猪木のマネジメントを長年していたマネージャーとしての習性があるのでしょうか。献身的です。
更にこの日は長岡社長が来ていました。長岡社長は、大阪で有名なチーズケーキ店を営んでいます。何度も私に「猪木さんと湯川さんが会えば1秒で解決」とアドバイスしてくれた1人です。この日は私が事前にお願いした自慢の特製チーズケーキを差し入れしてくれました。
更にこの日はなんとお蕎麦屋さんが来て部屋でお蕎麦を作っています。すなわち出前料理です。これぞスーパースターアントニオ猪木のランチの仕方です。初台でお蕎麦屋を営んでいるご夫婦が料理されています。長年猪木の大ファンとの事です。猪木もそのお店に行きます。
私はテーブルに着くなり大好きなお蕎麦を頂きました。最初はざる蕎麦を頂きました。次は汁蕎麦です。これもすぐに平らげました。私は調子に乗って店主に「お替わり」と言いましたが、奥様が「3杯目はお店で」と笑顔でいい、その日の蕎麦はそれで終わりでした。

私は翌日、髙橋社長とそのお店を訪れました。お店はお客様がいっぱいでした。
「3杯目を食べに来ました」にご主人も奥様も驚かれました。壁には猪木のサインがあり「道」が飾ってありました。必ずもう一度、猪木をこの店で食べさせたいと思いました。

次回、12月1日に掲載します。

【追記】
猪木から21年10月28日に託された「この部屋から出たい」のメッセージからなんと約9か月の時間を費やして実現した訳です。
しかしなぜ9か月間の間にいろいろな阻止する必要があったのか、不思議です。
仮の話ですがその間、もしも猪木自身の症状が更に悪くなっているのであれば、だれが責任を取るのでしょうか。なんと不毛な時間を使ったのでしょうか。何故、これだけの時間がかかったのか、大きな疑問です。
宇田川氏が後日「こんなことがあります」と「猪木本」を持ってきました。その「猪木本」の発売日が22年6月か7月頃だったと思います。まさか信じたくはありませんが、この本の収益を得る為に猪木が「出たい」いう事を遅らせていたならば、大変な事です。そのような事がない事を信じます。後々それらの事は解明する事でしょう。
更に、この間に私と猪木を近づけないようにし、また私への印象操作をするためなのか、ありもしない事を週刊誌にリークした人達がもしいるならば、愚かな行為です。いずれはその人達はブーメランで返ってくるでしょう。人生とはそういうものです。

もしあの当時、未来が分かるなら私を含め、和解の為に動いてくれた代理人や猪木の周辺の人達は、もっと早くに快適な時間を作ってあげたかったと悔やみます。
何度も言います。それは病状にも影響していたかもしれません。

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